【 七草企画 】
椅子を指差すと、おとなしく従う。
台所に立つ後ろ姿をちらちら見ているのが分かる。
殆どやらない事に違和感が拭えないが、漂う匂いは芳しく。
刀を扱う手が、包丁を扱っている。
迷い無い動きで動くそれ。
意外すぎる一面だとでも思っているのだろう。
ちらと見ると目が合う。
膝枕の時や他に誰もいなければ、仮面を外す事に躊躇いは無い。
きつめの目つきの整った顔立ちと言われるが、興味はない。
興味深げな視線に気付き、何だと眉をひそめる。
何も、と微笑み返すだいすきなひと。
口がへの字に曲がる。
このひとが、このひとだけが。
幼い頃に切り離された理性を繋ぎ止める。
このひとが、このひとだけが。
幼い頃に潰された感情を喚び覚ます。
少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「七草粥だ。残す事は許さんぞ」
粥を掻き混ぜる。
昔はよく作ったものだ。
連れて帰った子供は不健康極まりなく、線も食も細かった。
四苦八苦して粥を食べさせた。
卵を落とすとよく食べたのが懐かしい。
仕事人間の、壮年から抜け掛けてさえいる、結婚すらした事のなかった自分。
難しい年頃に差し掛かった子供に頭を悩ませ。
仕事に逃げ。
益々子供の目は暗く沈み。
それを救ってくれたのは、二十そこそこの青年。
何か言ったわけではない。
何をしたわけでない。
強さが何たるかを身を以て、意識すらせずに示す。
余りにも、余りにも、強すぎる孤高の白百合。
それは時折、絶対零度で堅固に凍り、衝撃で一気に砕け散る脆さを見せる。
子供が零したことがある。
あのひとは、あの男といる限り傷つき続ける。
つやの悪い髪を撫でて、諭した。
心が如何に痛もうとも、それが幸せならば仕方がないと。
男は椅子に座る横顔を見つめた。
視線に気付き、首を傾げるひと。
何も、と僅か笑むと、微笑み返してくれる。
このひとが、このひとだけが。
本当の強さが心の有りようと気付かせる。
このひとが、このひとだけが。
人が如何に脆いのかを思い出させる。
切なさに少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「白粥も中々味わい深いものでな」
ガーゼで包んだ茶葉を粥に沈める。
箸の扱いはそれが菜箸でも問題は無い。
おんぶに抱っこで育てられたが、浅慮ではないと言う自負はある。
今も色々と一人で出来ない事はあるが、その分出来る事に骨身は惜しまないつもりだ。
幼くして家族と引き離され、血筋の大事さを刷り込むように説かれている。
だが、理解はしてもそれが重要とは思わない。
混じりっ気たっぷりの捨て猫を拾っては、屋敷につれ帰り。
結局面倒は血風連に回るが、彼らは不思議な事にとても楽しそうだ。
運命を押しつけられた貴方が可笑しな柄の子猫を嬉しそうに抱いて帰るのが、好きだと。
血に縛られながら風のようでいる貴方が、好ましいと。
彼らがこっそりこの人に主の相手をして頂きたいと言っているのは知っている。
とても、貴方が好きなのだと。
気に入りでなく、好んでいるのだと。
それが意味するところは曖昧だ。
この清流の様に澄みながら火傷しそうに熱い思いを誰も知らないのだ。
母のぬくもりさえ知らぬが、このひとの慈しみは酷く心地よい。
もっともっと、欲しい。
勝手な望みと苦笑いすると、不思議そうな視線が投げられる。
何も、と僅か笑んで首を振る。
このひとが、このひとだけが。
ぬくもりを知らぬ故に寂しささえ知らぬ自分に慈しみをくれる。
このひとが、このひとだけが。
何かを慈しむ事を教えてくれる。
少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
茶粥が、揺れていた。
「・・・・・・・・・・」
鶏の皮を外し、少し考える。
味は出るが、嫌う人間もいるこれをどうするべきか。
出汁だけ取ってあとで引き上げても構わないだろう。
正しい作り方は辿っていない。
やりやすいと思っている勝手なやり方だ。
自分は凝り固まった考えの部分がある。
手順通りでないと結果は得られないのだと。
前に夜食を作っていてそれは酷いものが出来た事がある。
結局それは参考資料の誤植だったのだが、兎角始末さえ困るようなものが出来。
躍起になって繰り返していたらこのひとが通り掛かって。
それでは到底出来ませんと、やんわり。
手本をと言うと、見事な出来で。
簡易の方法ですからきっちり手順を踏んだものに比べ味は劣りますが、と。
彼が手順を端折ったのが不思議だった。
止まった箸に、微笑んだひと。
今は直ぐにお召し上がりになりたかったのでしょう、と。
結果は個々よりトータルだ。
早さ、味、諸々を組み合わせれば、それは結果に繋がる。
矢張り自分より大人なのだなと思いながら見やる。
不思議そうに微笑み返すやさしいひと。
このひとが、このひとだけが。
道は色々な中から選び出すのだと教えてくれた。
このひとが、このひとだけが。
弟を殺す為に生きる自分の道を理解してくれる。
少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「正しくない手順の鶏粥だ」
不健康そうに骨張った腕が、捲り上げられた袖から出ている。
卵を割るのは得意だ。
二つ同時もできなくはない。
特異な能力に押し潰されそうになっていたあの頃出会ったひと。
このひとは子を持った事は無いらしい。
この先もおそらくは叶うまい。
子供好きなこのひとは淋しいと思わないのか。
しかし、子が無いままでいればこの歳の近過ぎる自分をどこか親のように慈しむ気持ちを忘れずにいてくれる。
視線に気付いたひとが小首を傾げて頬笑む。
何も、と微笑み返す。
薄く切なく笑い、不快感を与えぬ程度に視線を反らした。
このひとが、このひとだけが。
全ての人間の心を引っ繰り返して回りそうになるのを押し留める。
このひとが、このひとだけが。
溺れる程の、疑う必要ない無償の慈しみをくれる。
少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「卵粥は好きか」
ことことと鳴る鍋蓋をを取り、中を掻き回す。
甲殻類と貝類の濃厚な香り。
外した貝殻が積み上がった流しを見ながら思う。
このひとは貝のようだ。
触れようとすると激しく拒む。
硬く白い殻に籠もる。
惜しみない慈しみを与えても、与えられるのには酷く動揺する。
与えてばかりで、望まない。
そんな生き方では枯渇してしまう。
ひとは与え与えられて潤いを保つのだ。
生来の気質もあろう。
過去の体験故かも知れぬ。
だが、そうでなければ到底耐えられぬのだろう。
与えられぬ言葉を待つより、ひたすら愛を捧げ続け。
淋しさを、辛さを、悲しみを。
感じないように。
自分の求めるままに生きゆく己には真似の出来ないこと。
いつかこのひとが限界に達した時の憂いを覚えながら見やると、首を傾げて微笑み返す。
このひとが、このひとだけが。
一人でいることのどんなにか楽な事を感じさせる。
このひとが、このひとだけが。
己一人では生きる事など出来ぬのだと説く。
少しだけ苦笑に口元を笑ませ、椀を差し出す。
「海鮮粥故、食すべし」
ミルクを温める。
白いミルクを。
生まれ持った白い瞳。
殺戮の為の魔性の指。
向けられる恐れ。
媚びの視線。
初めは心地好かった。
優位だと。
暫くは楽しめた。
高飛車な女よりへつらう女の方が楽だ。
その内に疲れてしまった。
楽過ぎて退屈で、飽き飽きして。
でも。
手に入らない、ものが。
同じ白でも甘い、柔肌。
戯れで手に口づけたのだ。
慌てると思ってからかったのだ。
そのひとは真直ぐに見つめ返しただけだった。
淡い色の唇が、紡いだのは。
貴方様の目は、雪の色をしています。
白黒の色の話ではない。
そこに内包されたものを、一瞬で見抜いて。
手を、握ってくれた。
この、凶々しき指を包む白い指。
そう、それが。
けして手に入らぬ、柔く甘い、しろ。
新たに湧く淋しさと、無理矢理に奪いたくなる衝動。
聡いひとからそれを隠し、伊達男を気取って笑みを向ける。
何も知らずに、微笑み返すやさしいひと。
このひとが、このひとだけが。
この指を慈しむように握ってくれる。
このひとが、このひとだけが。
本能的な渇望を刺激する。
売りの伊達男が崩れそうなのに少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「アロス・コン・レチェなんだが、嫌いか」
庇護する少女が風邪を拗らせたことがある。
粥さえ嫌がるのに困り果て、焦り。
矢張り自分には荷が勝ち過ぎていたのだと酷く落ち込んだ。
その時に、そっと助けてくれた。
思っていたより体重変動が少なく、やや快方に向かう少女。
どう考えてもおかしい。
おかしいというより不思議でならない。
気を付けて見ていると、一日数回見舞う人が手に皿を持っていて。
粥さえ拒むのに一体何をと聞いた。
咎めたつもりはなかったが、そのひとは差し出がましい真似をと謝り、皿の中を見せてくれて。
薄い、おもゆ。
糊より薄いそれは赤子に乳代わりに与えるもので。
そう滋養はない。
言いたい事に気付いたのか、優しく目を眇めた。
食べれないのは胃が弱っているからです。
最低限の体力を維持できれば、胃を休ませた方が回復に繋がります。
優しいひとは忙しい合間を縫って少女にひと匙ひと匙おもゆを与えていた。
今思えばそれは凄まじい献身だ。
恐らく当時からそうであった想い人の、他の女性との子を。
媚でなく、悪意でなく、ただ。
優しく。
慈しみを。
今も変わらぬひとを見たら視線が合った。
微笑み返すやさしいひと。
このひとが、このひとだけが。
崩れそうな自信をそっと支えてくれる。
このひとが、このひとだけが。
実の子でなくても愛せるのだと証明する。
口元を笑ませ、椀を差し出す。
「蟹粥だが、付き合わんか」
自分は大概料理が下手だ。
だがどうしてもやりたくて一念発起。
レシピも道具も材料も揃えた。
絶対に失敗しないように一番簡単な料理を選んだ。
なのにこの惨状は何なのだろう。
いっそ不思議だ。
刀剣なら扱えるのに、包丁で切り刻んだスパイスは散乱。
おおもとのパンは不揃い極まりなく、第一鍋に入れ忘れている。
鍋には完全に焦げ付いたコンソメスープ・・・・だったもの。
しかも食べてもらいたかった人に片付けてもらっている始末。
手伝うと言ったらやわく断られた。
きっともっと酷くなるから。
溜息をついてうなだれる。
他の事は出来る。
出来ない事のほうが少ない。
でも出来ない事は全く出来ないタイプで。
今日くらいは、休ませてあげたかったのに。
いつも忙しくて。
盟友と自分の世話を焼いてくれて。
どんなに疲れていても、微笑んでくれて。
他の九人と違い、常に半発動の状態の自分の能力。
見る、という行動に付随するそれ。
もしかしたら、無意識に。
この、だいすきなひとを。
幻惑で、惑わせてはいないか。
微笑んでくれるのはそのせいで。
それが切れたら。
怯えと嫌悪の視線が向けられるのではないかと。
怖く、なる。
冷たくなる指先。
閉じた瞼が震えるのを抑えられない。
不意に、呼ばれた。
顔を上げると、微笑んでいるやさしいひと。
このひとが、このひとだけが。
こんなにも自分の不安を煽る。
このひとが、このひとだけが。
全てを従わせたいと叫ぶ自分の深層心理を御せるのだ。
このやさしいひとの幸せを壊さぬよう、自分は道化を演じよう。
少しだけ口元を自嘲に笑ませると、差し出されるとてもいい香りの椀。
「パン粥をお作りになっていたのでしょう」
縋るような目で辞退するのを命令という名目でやっと座らせ、代わりにキッチンに立つ。
料理自体より余程骨を折った。
林檎を洗い、皮を向く。
種とへたも抜き、適当に刻む。
同じ材料で煮込めば大体のところ出来るのだから、そう神経質に大きさを揃える必要もない。
シナモンスティックを放り込み、蓋を。
基本的に薬膳のこれを選んだのは、従者が体調不良を起こしているのを薄々感じ取ったから。
必死に隠すのに苛立つ。
何故頼らない。
何故甘えない。
貴様の一人や二人面倒は見れる。
言ったところで栓ない。
互いにこういう性格なのだ。
一度蓋を開け、掻き混ぜる。
二本入れたシナモンスティックがかち合う。
愛していると言えない自分。
愛していると言わない従者。
いつか、いつか、いつか。
いつも言い訳のように繰り返すそれを今日も飽きずに繰り返し、ソファで不安げに小さくなっているこいびとを見やる。
目が合うと、頬を染めておどおどし始めて。
くっと笑うと、俯き加減の上目使い。
目を細めると、照れたように微笑み返すいとしいひと。
このひとが、このひとだけが。
こんなにも自分を狂わせる。
このひとが、このひとだけが。
自分を只の人間に、男に、獣に還す。
その心地好さに少しだけ口元を笑ませ、椀を差し出す。
「アッペルブライ(林檎粥)だ」
***後書***
今回のルール…十傑の料理。固定ワード…「このひとが、このひとだけが」
暴飲食で疲れた胃に優しい企画。書き始めて一番不安を感じたのは幻惑。格好良く落とそうかとも思ったけど・・・ね?