【 サニ企画 】
「ん・・・・・・」
目の前には、父の愛する人。
母公認の、父の恋人。
すっかり安心しきって眠っている。
樊瑞に知れたら絶対に怒られるが、換気の配管をこっそり通って部屋に忍び込んだ。
ベッドのわきに椅子を引っ張ってきて、寝顔を覗き込む。
可愛い寝顔は、33歳の男の人なのに、やっぱり可愛い。
変なの、と自分に笑って、寝返りを打つイワンを観察する。
壁際に寝返りを打った時、目が覚めたらしい。
もぞ、と起き上がって、欠伸。
だが、振り返った先に主の愛娘が座っている事にイワンは酷く驚いたようだった。
スッと青ざめた理由は知っている。
知らないが、知っている。
今日は一人か、今いるのはどこか、咄嗟に確認した。
父と一緒に、秘密の事をしているひと。
自分のまだ知らない、大人の秘密を。
覗いては駄目だと知っているから、まだ詳しく知らないけれど。
恋愛小説にちょっと書いていた、えっちな事だとは知っている。
それを、隠していることも。
娘である自分が傷つくからと必死に隠しているのには気づいている。
隠さなくてもいいのにと思う。
が、一生懸命自分を気遣ってくれるのが嬉しくて、ちょっと意地が悪いが知らないふりをしている。
女の子ってずるいな、なんて自分で思いながら、サニーはイワンに思い切り笑顔を向けた。
「よく眠れた?」
「え・・・・ええ・・・・・」
「今日は、お休みだって聞いたの」
現状が主の娘を不快にさせないとなんとか判断したイワンは、ぎこちなく微笑んだ。
流石に起き抜けではいつもの機転も鈍るらしい。
「あのね、今日は、私と一緒にいて欲しいの」
「サニー様とですか?」
私でよければ、喜んで。
躊躇ないその言葉が本心であると知っているから、嬉しい。
誰々の娘だから、というのは悪い事でないと思う。
それだけでは悲しいが、それが自分を好きでいてくれて更に付加される要素であるなら構わないと思うのだ。
好きなのをもっと増加させる要素が、いつもこの人に意地悪をする父であるのはちょっと不服だが。
いつも父が部屋に引っ張り込んでしまうと、次の日、目が少し赤い。
きっと泣いているのだ。
酷い事をされているに違いない。
でも、お互い好き合っているのだから、そう言うところがきっと『大人の秘密』なのだ。
少女の夢見がちな思考ではあの苛烈な性折檻は想像できまいが、それはある意味幸いだ。
事実を知ったら大喧嘩になるだろう。
母親譲りの攻撃力と、父親譲りの受け流し。
養父譲りの打たれ強さに、父に負けない程にイワンが大好き。
4つ揃えば敵など無い。
あったとして、大好きなイワンが宥めるか叱るかした場合だ。
サニーは着崩れたパジャマ姿のイワンに抱きつき、せがんだ。
「絶対絶対、今日は誰にも渡さない」
だっていつも、大人でイワンを取り合いばかりして、サニーがイワンを一人占め出来ないんですもの。
ちょっと拗ねた可愛い少女に、イワンは優しく笑った。
「今日は、絶対にサニー様と一緒にいます」
基本的に朝食は摂らないイワンだが、サニーもいるので簡単な朝食を作った。
簡単とは語弊があるかもしれない。
年頃の少女の栄養を補えて、でもややヘルシーに。
バターを控えミルクたっぷりのフレンチトーストと、サラダ。
卵はトーストに染みているからやめておいた。
心得ている少女はその心遣いをとても喜んだ。
イワンがちゃんと栄養学を知っていると知っているから、残さないで素直に食べる。
イワンは同じものを食べてサニーの話を聞いていた。
成人男性にしては朝食が軽いが、普段はもっとだ。
食べる習慣がないものを少し詰め込むように押し込んで、水を飲んだ。
コーヒーを飲む隙間もないくらい満腹だった。
サニーはそれに可愛い笑顔で心配をし、そして一生懸命に話をしている。
一緒に暮らす樊瑞の事、勉強の大半を見る孔明の事。
意地悪だけれど、一番一緒に遊んでくれるレッドの事。
輝くような笑顔で、夢中になって話す少女。
のびのび育ってくれているのが嬉しくて、話を聞く。
だが、ちょっと可笑しくなって、笑ってしまった。
不思議そうな少女に謝って、首を傾げる。
「でも、何かに腹を立てているのでしょう?」
「えっ・・・・・・」
唐突に、だがちょっとだけドキッとする問い。
隠せない、と恥ずかしくなってしまった。
「・・・・・分かってしまった?」
「ええ。お顔が拗ねていらっしゃいます」
柔らかく笑ってくれる人は、知っているのだ。
だから、トーストでなかったのだ。
それは大当たりだったけれど、事の詳細を知っていたのでなく、自分の嗜好を知っていたのだ。
「・・・・おじさまと、約束しているの」
毎週水曜日の朝食は、トーストじゃなくてフレンチトースト。
それは、我儘かもしれないけれどちゃんと約束した事。
「忙しいのは、分かっているの」
でも、3回も忘れてしまったのよ?
「フレンチトーストの日が来ない事に、気付いてくれないの」
少し寂しい、と俯く少女に、イワンは優しく微笑んだ。
「樊瑞様は、安心しておられますから」
「安心?」
「ええ」
サニー様が、優しくて我慢強いと知っているから。
忘れている事を忘れて、油断されているのです。
イワンは悪戯っぽく笑って首を傾げた。
「今度の水曜日にフレンチトーストが出なかったら」
私がお作りします。
木曜日の朝に、樊瑞様のしまった、という顔を一緒に見ましょう?
樊瑞を責めるのでも、サニーを我慢させるのでも無い。
優しい思いやりにあふれた『悪戯』に、サニーは目を瞬かせ、次いで思い切り笑顔を浮かべた。
「ええ、楽しみにしているわ」
それは、フレンチトーストが出てきても出てこなくても楽しい約束。
「重くない?」
「大丈夫ですよ」
笑って膝にのせてくれる。
セルバンテスや樊瑞とは全然違う膝だと思った。
ちょっと柔らかいし、でも骨が当たる。
女の人ともちょっと違うんじゃないかな、と思った。
じゃあイワンは何なのかと言うとちょっと困るが、イワンはイワンなのだ。
寄りかかっても、背中に当たる身体は柔らかい。
胸も無いのに、平らなおなかや胸が柔らかい。
イメージで行くと、鳥の様な。
4本脚の獣の硬さより、鳥の柔らかさを思い出す。
柔らかくてあたたかくて、奇麗な声の。
飾り羽の華やかなものを思いつく訳でもないが、絶対にこの人は鳥だ。
色んな木にとまって囀り、皆を楽しませる。
今は父が捕まえて籠に入れているのだ。
でも、その鳥は嫌そうでないし、父の為に一生懸命に歌っている。
嬉しい、けれど。
この人はそれで、いいのだろうか。
父は大好きだ、素敵な人だと思う。
でも、セルバンテスの様に優しかったり、レッドの様に若々しく格好良い顔立ちの訳でも無い。
どちらかと言うと我儘で、おじさん。
渋さ云々を知るには少し幼すぎるサニーは、あれこれ考えても分からない。
「イワンは、お父様の事どう思う?」
「アルベルト様は素晴らしい方ですよ?」
「ううん、顔」
かお、と言われ、イワンは困ってしまった。
どうと言われても、格好良いとか渋いとしか言いようがない。
ないが、それはきっと少女の納得するものとは違う。
少し考え、イワンはサニーに尋ねた。
「サニー様は、どんな御顔立ちが好きですか?」
サニーはきょとんとしてから、雑誌の写真や本の挿絵を思い返してみた。
「目は、優しそうなのが良いわ」
「私は、鋭いのが好きですよ」
次々上がる特徴に一言づつ付け加えていく。
サニーはやっと気がついた。
嬉しくなって、笑ってしまう。
「イワンは、お父様が大好きなのね」
「はい」
10歳の少女に恋愛論を説くのは難しい。
分かる範囲で語るとすれば、今言ったように、イワンにとってアルベルトが大好きな存在であるという事だ。
サニーは背中を離して、イワンの方を向きなおした。
膝に乗ったまま、ぎゅうっと抱きつく。
「私も、イワンが大好きよ」
「ねぇ、ねぇ、駄目?」
「こ、こればかりは・・・・・・」
一緒に風呂に入りたいとせがむサニーに、イワンはどうしてもうんと言えなかった。
サニーの身体を見ても、言い方は悪いが所詮10の少女だ。
逆に、血縁でも無い33の男の身体など見せるのは気が引けた。
「どうして?イワンの身体、見せてくれないの?」
「さ、サニー様」
ぎょっとするような言い方にたじたじだ。
幼い少女に他意は無いが、まるで少女に言い寄るおっさんの様だ。
この場合は10歳の少女が33歳の男性に言っているのだが。
「どうしても、駄目?」
「う・・・・・・・」
うるうるおめめの破壊力は並大抵ではない。
愛らしい顔立ちで、しかも自分が大事に思っている少女。
イワンは、とうとう諦めた。
「わ、分かりました・・・・・・」
「やったぁ!」
諸手を上げて手放しで喜ぶ少女に苦笑して、世話して浴室に入れた。
たっぷり張った湯に沈むまで待ってから、覚悟を決めて服を脱ぐ。
出来るだけ身体を隠しつつ入り、身体を洗って泡で身を隠していく。
サニーは何が楽しいのか、にこにこしたまま浴槽の縁に顎を乗せてそれを見ていた。
噛み跡など無かった筈だ、絶対に無い。
確認し言い聞かせ、イワンは小さく息をついた。
溜息に近いが、泡の感触とマスカットの匂いに包まれた心地良さからくるものだ。
ふ、と吐かれた吐息に、泡がふわっと動いた。
滑らかな白い肌。
サニーはちょっと自分の身体を見下ろしてみた。
何だか、違う。
自分が女の子で、お世辞も入っていると知っているけれど、可愛いと言ってもらえる。
なのに、目の前のイワンの方が奇麗な気がした。
実際客観的に見るとそれは些か間違っている。
幼いサニーはまだ女性の区分でなく子供の区画に入っていて、とても可愛い顔立ち。
愛らしい顔に、ぺたんこの胸、起伏少ない身体に、細い脚。
変な言い方だが、男性が魅力を感じる体でない。
ロリィタ趣味の男が息荒げる『少女』なのだ。
もう三十路を過ぎたイワンは、男性だが分けてしまえば『雌』としての魅力が大きい。
普遍的な顔立ち、鷲鼻、しかも目元に傷まである。
だが、白い肌に柔らかくたっぷりした肉質の平らな胸。
起伏は男性の身体付きに他ならないし、そこまで華奢と言う訳でも無い。
だがなんとも言い難い匂うような色っぽさ。
子供にそれが分る筈もなく、それゆえ彼女はその差異を『イワンは奇麗』と認識したのだ。
自慢の『おかあさん』が綺麗なのは嬉しいが、やはり気になる。
自分も、いつかそんな風になれるのか。
「イワンは、どうしてそんなにえっちな身体なの?」
「・・・・・・は・・・・?」
余りに衝撃的な問いに、イワンの手からスポンジが落ちた。
サニーは自分の言葉が足りなかったとか問いかけ自体がえっちだなんて夢にも思わず、首を傾げた。
「だって、イワンの身体はえっちな感じがするもの」
「あ、え、あ・・・・・?」
真っ赤になって口をぱくぱくさせているイワンに、目を瞬かせる。
「お父様と、大人だけの秘密の事してるんでしょう?」
地雷どころか核弾頭の破壊力の問い掛け。
イワンは一瞬意識が遠のきかけたが、何とか踏み止まった。
基本的にセクハラには弱い彼だが、おかあさんスイッチが入っている場合は相当打たれ強い。
サニーに対しては常にスイッチが入っている為、十傑相手より相当冷静だった。
「あの、順を追ってお聞きしても?」
「?」
不思議そうなサニーは、当たり前だがエロオヤジの様に笑ったりはしない。
ただただ純粋な瞳に、安堵と苦笑を浮かべ、イワンはスポンジを拾った。
右の踝を洗いながら、サニーからくるぶしに視線を移し、微笑んだ。
「サニー様の仰る『えっちな身体』は、どういうものですか?」
「ええと・・・・白くて、今はマスカットだけれど、良い匂いがして、柔らかいの」
「それは、えっちですか?」
ちょっと考えて、サニーは可愛く唸った。
「ちょっと、違うかもしれない・・・・・可愛い、とか・・・・・ううん、綺麗なんだわ」
うん、それが一番ぴったり。
そう言って無邪気に笑うサニーに、イワンは少し頬をピンクにして困った顔をした。
「私は綺麗ではありません、皆様も知っておいでです。ですが、サニー様にそう思って頂けるのは嬉しいです」
「本当なのに・・・・・」
唯柔く苦笑しているイワンがちょっとだけ悔しい。
こんなに魅力的なのに、控え目過ぎる。
いばりんぼうも駄目だけれど、もう少し自信を持ったっていいのに。
泡が流されて湯を弾く身体をちょっと羨ましく思いながら、端に寄ってイワンの入るスペースを空ける。
静かに沈む身体が乳白色の湯に沈むのを惜しく思っていると、イワンが笑う。
見上げると、湯気と湯に乱反射する光で霞んだ優しい笑顔。
「サニー様は、私などよりずっと魅力的です」
「でも」
「ですから、ゆっくり大人になってください」
「えっ・・・・・・」
目を瞬かせると、イワンはサニーの横髪をちょっと上げた。
2つ、赤い点が出来ている。
「お化粧もいいですが、元の肌で十分お綺麗です」
「あっ・・・・・」
慌てて手をやる。
イワンはあっさり手を放し、サニーに言い聞かせた。
「ダイエットも、過ぎれば美を損なうだけですよ?」
「あ・・・・・・・・」
「ピアスを樊瑞様に反対されたのも、お聞きしました」
俯くと、イワンは優しくサニーの頭を撫でた。
「前者二つは、サニー様の健康面からお諫めさせて頂きます。ですが、ピアスは正直なところ構わないと思います」
「えっ・・・・・」
味方をしてくれるのかと、思わず見つめてしまうところはやはり子供だ。
イワンはにこりと笑って見せた。
「セルバンテス様も、お国柄もありましょうが、刺青をされていますし」
ピアスもつけていらっしゃいますね。
サニーは必死に頷いた。
そう、だからおじさまを説得するのを手伝って。
そう言いかけて、耳に入る言葉にはっとする。
「私は、サニー様の可愛らしいお耳に穴を開けてしまうのが、少しだけ残念です」
凛とした綺麗さは、このしっかりした意思表示からくるのだ。
本当に反対していない、でも残念と言ってくれる。
嬉しかった。
十傑も孔明も、やっぱりどこかで子供扱いするのに。
可愛いから勿体無いと言ってくれた。
思わず笑顔が零れてしまう。
イワンに抱きついて、もっと笑った。
「じゃあ、おばあちゃんになってしまったら、付けるわ!」
「今はいいのですか?」
「ええ、耳がしわくちゃになってしまったら、ピアスをするの」
ね、それはどうかしら。
いい考えだと、思うんだけれど。
無邪気で愛らしい提案に、イワンは笑い返して頷いた。
「では、その時に、サニー様よりもっともっとしわくちゃの樊瑞様を」
しわくちゃの私が説得しましょう。
明日も分からぬ場所に身を置き、願いにも似た約束を。
何も知らずに頷く少女に。
指切りげんまんで、約束した。
「駄目ったら駄目です!!」
「・・・・・・・・・・・・」
「睨んだって絶対に駄目ですっ!!」
キャンキャン吠える子犬と、睨んでいるわけでないが元々目つきの悪い親犬。
世話をするイワンはすっかり胃が痛くなっていた。
「あの・・・・アルベルト様」
「イワン!約束したでしょう!」
行かせない、としがみ付くサニーを抱き、イワンはベッドに座ったまま主を見上げた。
一緒に寝ると聞かないサニーと、娘が来ているとは知らず、一日休んだ身体を味わう気満々でやってきたアルベルト。
流石に娘の前で始めない分別はあるらしいが、この我儘帝王は何か考えているらしい。
手を伸ばされ、一瞬警戒した。
だが、抱きしめる腕はサニーごと自分を包んでいる。
スーツの上着を床に投げ捨て、二人を抱いたままベッドに。
恋人と愛娘と3人で眠るのは初めてだと思った。
イワンもアルベルトの考えを察知し、力を抜く。
泣きそうになって服を掴むサニーに微笑んで、抱きなおす。
「3人で、眠りましょう?」
「3人?」
「ええ」
父と一緒に眠った事は無い。
赤ん坊の頃に、縁を切られて樊瑞のもとに預けられた。
だが、それは自分の為と知っている。
樊瑞に何度も聞かされた、セルバンテスにも。
だが、父もその恋人で従者のひとも、一度だって何も言わない。
言い訳と言うには余りに正しく優しい決断を、黙っている。
小さな手が、父のワイシャツの裾と、その恋人のパジャマの袖を握り締める。
「絶対絶対、一緒に居てね」
頷いてくれる人と、黙っている父。
それで充分嬉しくて、サニーは暖かさを感じながら目を閉じた。
「・・・・・お寂しかったのでしょうか」
「・・・・・かも知れん」
寝息を立てるサニーを見つめて優しく笑うイワンに溜息をついた。
その背後に背後霊よろしくぺったり張り付いてそれは嬉しそうにしている妻。
言っちゃ駄目よ、と唇に指を当てるから、黙っていた。
なんとも不思議な関係だが、言える事はひとつ。
みな、この娘が大事で。
みな、この健気な男が大好きなのだ。
苦笑じみた笑みを唇に乗せ、目を閉じる。
久し振りに、夢を見そうだと思った。
***後書***
『真夜中に目が覚めた時は大抵夢』と子供に突っ込んだ経験有りの38歳に不安が高まる最後の一文。