【 孔明の夢 】
「孔明様、どうされましたか?」
箸で海老を掴んだままぼうとしていた孔明は、はっとして顔を上げた。
「いえ、何も」
予算案を考えていたのだなんて取り繕った。
優しい人は良くも悪くも素直で、信じてくれた。
このひとは、腹違いの弟だ。
まだ自分が学生の頃に女に連れられてきた人は、酷い有様だった。
服はだぼだぼ、痣だらけ、おまけに風呂に入った形跡も薄い。
自分の母親は他界していたし、父も死んでいた。
なのに、預けるのは手続きが面倒だからと連れてきたのには呆れた。
弟だから、育ててよ。
殴っても蹴ってもそう泣かないし、家事は出来るから。
そう言って押し付けられ、取り敢えず風呂に入れて。
面倒だと思いながら、広い家に放し飼いにしていた。
でも、その小さな生き物はとても賢かった。
絶対に邪魔をしない範囲で、茶をそっと入れてくれたり、布団を敷いてくれて。
食事も、バランスよく。
家は段々と片付いて。
気づいたら、彼なしではいられなかった。
それはあくまで物理的な話だ、家政婦を雇えば問題は無い、だが。
10ほど年下の小さなそれを初めて抱き上げた時。
おずおずと呼んだ、おにいちゃん、と言う声が。
余りに切なく愛らしくて。
初めて、彼に注意を向けた。
仕事人間で女っ気のない自分に直向きに尽くしてくれる弟。
彼が誰かに取られるのでないかと不安になったのはいつからだろう。
確かに家事手伝いの男だが、ちゃんとしたひとだ。
言い寄っている男もいるらしい。
もう何年一緒か分からないほどに長く一緒だが、それでも。
彼の瞳はあの日と同じで。
おにいちゃんと言ってくれたあの日のままで。
どうすればいいのか、分からない。
奪っていいのか、いけないのか。
彼の気持ちと自分の気持ちのどちらを取るべきなのか。
疲れて、いた。
箸を置き、残した事を謝って席を立った。
心配そうな視線を振り切って、自室へ。
部屋に帰っても、浮かぶのは可愛い弟の事ばかり。
あの愛らしい笑顔が欲しい。
泣きながら喘ぐのが見たい。
欲しい、欲しくて堪らない。
組んだ掌に額を乗せ、深く息を吐いた。
ノックの音に、笑顔を繕う。
「どうぞ」
「・・・・・・孔明様・・・・・」
心配そうな瞳。
それに相反する、淡くも艶めかしい唇。
咄嗟に、呟いていた。
「おにいちゃんと、言ってくれませんか・・・・・」
「え・・・・・?」
おにいちゃん?
その甘い言葉に、頭が真っ白になる。
「こ、孔明様?!」
抱きしめて、ベッドに押し倒す。
肌蹴た服から覗く白い肌に目眩がした。
堪らず吸いつけば、震える甘い肌。
ああ、これだ、これが欲しかった。
胸の尖りを吸うと、ひゅっと息を呑む。
臍をちろちろやれば、身を捩る。
だが、ふと気付いた。
何も、一言も、言わない。
見上げれば、イワンは泣きそうな顔で震えていた。
「イワン・・・・・・」
「おに、ちゃ・・・・・・」
捨てないで、何でもするから、我慢するから、泣かないから、煩くしないから。
縋られ、呆然とした。
この子はたった今まで怯えていたのだ。
自分から捨てられまいと必死なのだ。
切なくなって、頬を包んで口づけた。
イワンに、言い聞かせる。
「・・・・私は貴方を捨てません。貴方が大事で、愛している。・・・・貴方が嫌と言っても、もう・・・・手放す事なんて、出来ないのです」
イワンはいつもと同じ瞳で見つめていた。
おにいちゃん、と唇が動く。
「私は、十年前のあの日からいつだって」
会った時から、一目見た時から。
「貴方様だけをお慕いしています」
思わず目を瞬かせ、何か言おうと口を開くが、何を言えば良いか分からなかった。
イワンは、笑って手を伸ばしてくれた。
「変わらないのは当たり前です。私はあの日からずっと、貴方に恋しているのですから」
愛らしくもいじらしい言葉に、思わず強く抱きしめる。
「貴方を、愛しています。永遠に、ずっと。兄として、男として、貴方の恋人として」
【 レッドの夢 】
「もうっ、レッド様っ」
余り悪戯されないでください!
ちょっと怒って見せるから、大人しく手を放した。
でも、何でそんなに怒るのか。
まだ新婚なのだから、ちょっとくらいべたべたしたって良いと思うのだが。
不満で、不貞寝決行。
布団をかぶって寝ていると、イワンが来た。
「レッド様、貴方様も父君なのですから・・・・・」
そう、実は二人には子供がいる。
婚前交渉で出来てしまった子は、何とも憎たらしい双子。
男同士での奇跡だが、あんなの正直欲しくなかった。
やたら毛髪量が多くて目つきの悪いのと、いつもお気楽で目力がうざったいの。
それらはイワンを独占し、隙あらば押し倒そう浣腸しようとする4歳児。
本当に始末してやりたいが、イワンの為と我慢。
「二人とも、寝かしつけてきましたから・・・・・」
天使の様な寝顔です、と微笑む彼が本当に天使じみている。
それ以前に、あんな乳臭い子猿に天使なんて言ったら暴動が起きる。
「・・・・・私の事は、まだ好きか」
「え・・・・・?」
瞬いた目が、優しく細まった。
「愛は、分割されたり移行するものではないのです」
倍々に、増えていくものなのですよ?
そう言って、頭を持ち上げて膝枕をしてくれる。
それも嬉しいが、今は。
鬼の居ぬ間に、なんとやら。
組み敷いてしまえば、隣の部屋を気にしながらも抵抗はしない。
「声を、上げるな・・・・・」
子猿が起きてきては、かなわんからな。
そうからかうと、イワンが首に縋ってくる。
おでこを合わせて、見つめあう。
「レッド様・・・・・」
好きです。
貴方様が、大好きです。
甘い声に、酔いそうだ。
その蜜酒の声音が溢れる愛らしい唇を吸えば、矢張り甘い口の中。
舌を絡めて探りあい、柔らかな口内を楽しむ。
接吻に弱い人は、直ぐにくたりとしてしまった。
とろりと濡れた目ではんなり微笑むのは途方もない愛らしさだ。
服を脱がせると、滑らかな肌が現れる。
軽く口づけながら、何度も撫でた。
昔は、こんな事は夢のまた夢だった。
血塗られた手で触れるなんてとても出来なかった。
壊しそうで、怖かった。
その手を引いて心臓の上に置いてくれたのは、今でも色褪せない記憶だ。
あの、五月の空。
初夏の気配がする、抜けるような青空の下。
血まみれの自分と、ぼろぼろの彼。
他の全てが崩れてしまった、あの街で。
二人手を取って、寄り添った。
夜からの雨、半壊した建物の中で、手を取り合って。
愛を、確かめて。
毎夜の如く求めていた、いつ当てたかすら分からない。
だが、二人きりの何もない街で、この一途な人は。
自分の子を、孕んだ。
だから、あの瓦礫の街を出た。
腹の中身より、孕んだ彼を楽にしたくて。
安全な場所に居を構え、十月十日を静かに過ごし。
お前を任せるのが心配だと漏らしたら、笑ってくれた。
知識はあっても初めての自分が取り上げる事を快諾してくれた。
血と羊水に濡れたものは、何とも可愛げがなかったが。
泣いて喜んでいる妻が可愛かったから、それで良いと思った。
「あれらのことは、正直好かん」
「レッド様・・・・・・」
「だが、お前の為なら守る」
お前も、あれらも、必ず。
「傷一つ、負わせはせん」