【 言技企画 】



ベルフェゴールの探究、という諺がある。

ベルフェゴールという悪魔が、下界を観察して出した結論。


「幸せな結婚というものは存在しない」


賛否両論あろうが、一利ある。

そうして諺というものは往々に。

現状や性質を端的に表す手段でもあるのである。





セルバンテスは手の中の水薬を見つめた。

十傑全員に配られた薬は、何とも怪しげだ。

既に匂いが刺激臭であり、飲んだら内腑が爛れそうな気がする。

が、十常寺はいたって通常通り・・・・というか、いつだって何を考えているか分からないが。

イワンには配らなかったところがますます怪しい。

不安そうなイワンの手には別の、とてもいい香りで甘い蜜色の小瓶。

十常寺が力強く頷いた。


「劇薬口に苦し」

「・・・・それって良い事ないよね?」

「是」


第一、イワン君のも苦いの?

そう聞きたかったが、面倒臭くなってやめた。

媚薬でも惚れ薬でも、毒は甘いものだと思いだしたから。





「どうしても駄目か?」

「だ、駄目です・・・・・・」

主の不在中に浮気の誘いを受け、イワンは首を振って断った。

だが、ヒィッツはなおも食い下がる。

伊達男にしては珍しい。

どうかしたのかと思って、話半分で良く観察する。

些か疲れているようだと思った。

殺しも破壊も躊躇いない男だが、機械ではない。

上手くいかぬ事や心労もあろう。

やんわり話を切り上げ、部屋に行きたいと申し出た。

伊達男は溜息をつき、了承。

結局今日も落とせなかったのだと悟ったのだ。

疲れた顔のヒィッツにシャワーを浴びてくるよう願い、部屋を不快にさせぬ程度に触らせてもらった。

換気をし、風を通しながらカーテンなどに脱臭ミストをかける。

相当滅入っていたのだろう、シガレットの煙の匂いがしみていた。

空気が変わったら窓を締め、もう一度脱臭ミスト。

空調で少し暖かめにし、ミストの蒸発が丁度良い湿度を保った。

香水の香る部屋はやや匂いが薄まっていたので、少し迷ったがアロマミストを3プッシュ。

香水は神経を過敏にするから。

出てきたヒィッツに椅子に座って貰い、髪を拭き、ドライヤーを当てた。

綺麗にブラッシングし、ベッドに横になって貰う。

脚の方にそっと薄めの掛け布団をかけ、黒いシャツしか纏わぬ腹部を軽く叩く。

心音くらいの速さで、ごく軽く。

ヒィッツは何も言わずにイワンを見ていた。

いつもの透かした笑みすらなく、疲れたように、でも嬉しげな微笑を浮かべ。

酷く幼い顔だった。

伊達男のこんな顔を知っているのは、イワンだけだ。

伊達男がこんな顔を見せる事が出来るのは、イワンだけだ。

眠たげな眼が、優しく細まる。


「前に、レッドが菓子のおまけのCDを寄越してな・・・・・」


一節がとても、気に入った。

普遍的な昔の恋の歌だが、何とも的を得ていた。


「我儘は男の罪」


それを許さないのは、女の罪。

何とも昔風の言い回しだが、そう言われればそうだろう?


「お前のような、どちらでもない存在が・・・・・・」


イワンの指を軽く撫でていた動きが緩慢になり、とうとう止まる。

閉じられた瞼と穏やかな寝顔に微笑んで、イワンはそっと布団をかけ直した。

そしてそのまま、彼が目覚めていつものように笑うまで。

その寝姿を優しく、見守っていた。





「怒鬼様、お帰りなさいま・・・・・・」

任務から帰還した怒鬼に首根っこ掴まれ、イワンは驚いて彼を見つめた。

整った顔が近付けられる。

慌ててもがくが、放してもらえない。

そして、とうとう。


すんすんすんすんっ


「に、匂いを嗅がないでくださいっ」


すんすんすんすんっ


「私はそんな好ましい匂いなどしませんしっ」


すんすんすんすんっ


「さ、さっき走って少し汗ばみましたから汗臭・・・・・」


しゅごしゅごしゅごしゅご。


「いやっ・・・・」


身体中の匂いを嗅がんとするお座敷犬に馬乗りされる従者を見つめ、アルベルトは暫し考えた。


「嗅げつけいっぱい・・・・?」


当たらずとも遠からず。





「レッド様・・・・・?」

自分を捕まえてまじまじ見てくる青年に、イワンは戸惑いを隠せなかった。

初めのころは無関心、攻撃的だったレッド。

そのうちにいびられ苛められ、最近は何だかおとなしくなった。

自分に執着しているようだし、とても不安定な彼を放っておけなくて。

世話を焼くが、嫌がられてはいない。

顔立ちの綺麗な青年は能力も申し分なく、性格に難があっても矢張りとても凄い人で、上司で。

その整った顔が、不思議そうに見つめてくる。


「何故、お前は棘が無いのだ」

「とげ、ですか?」

「そうだ」


身を守る術を持たぬ、柔い種子や幼虫と変わらない。

白く儚く、弱い。

確かにレッドからすれば自分などとても弱いだろう。

だが、何も出来ないわけではない。

必要とあれば人間も『始末』するし、謀だってする。

ただ、十傑にそんな事をする必要が無いから見た事が無いだけなのに。

そう思ったが、レッドはどうも自分の身体をしきりに触る。

本当に、物理的な『棘』を探すが如く。

綺麗な鴉色の瞳に、自分が映るのが見える。


「綺麗な花には棘があるのだ、知らんのか」





カワラザキは廊下を歩きながら溜息をついた。

失せ物だ。

つまり、ものをなくしてしまったわけで。

それは、大事にしていた手袋で。

昔、命じて作らせた。

その人の恐怖を軽減するためだけだった。

その時は、何とも思っていなかった。

それが汚れるのも構わず使っていた。

捨ててしまおうとした時、初めて。

捨てられなくなっている事に、気づいた。

もう人のものだ、その人も自分など見てはいない。

でも、諦められるものでない。

手袋はもとより、その人だって欲しくてたまらぬのだから。

激しい恋慕に身を焼かれ、人にはとても言えぬが、任務で力を制御できなくなった事もある。

殲滅が必要だったと繕ったが、何とも未熟な話だ。

そうして、毛糸物を初めて洗った。

若い時分から洗濯物はすべてクリーニングだったが、これだけは。

不安で。

これで良いのかとドキドキしながら、毛糸洗剤で手もみ洗い。

でも、やっぱり縮んでしまった。

酷くがっかりしたが、綺麗にはなったから、大事に仕舞っていた。

新しいものを強請るには、矢張りプライドが邪魔だった。

そうしてまごまごしている内にリーダーを退き、年を重ねて狡猾にはなったが。

強請るなら、今度こそ素直に言いたいと思った。

欲しいから、自分の為に、編んでほしいと。

到底言えぬ、死ぬまで言えるかさえ分からない。

ああ、どこにやってしまったのか。

黒の手袋の行方に思いを馳せ、溜息を。

自室に戻ってみると、机の上に紙袋が乗っていた。

カードが添えてあり、幽鬼から。


『爺様の部屋の前にイワンが立っていた。暫く帰ってこない事を伝えて、これを預かった』


カードを取ると、重ねてあったもう一枚が落ちた。

拾い上げると、手袋の作者。


『猫が懐かしいものと戯れていましたので、代わりをお作りしました。お気に召すと嬉しいです』


ああ、猫が持って行ったのか。

陰干ししていたから、毛糸に目が無い獣は我慢できなかったのだろう。

片方無くしたりせぬように根元を一か所止めていたから、ごっそり無くなったのか。

だが、何とも嬉しい。

手袋の事ばかり考えていたら、手袋がやってきた。

そして私は今、耳に捉えている。

葱を置いて行った鴨が、可愛い駆け足で鍋にされに来ているのを。





「あっ・・・・・も、申し訳ありませんっ」

箱を2つ積んで抱えていたイワンは、幽鬼の前を通る時引っ掛けてしまった。

どの辺りに引っ掛けたか正確には分からないが、目測を誤ってしまったらしい。

箱を置いて改めて謝罪しようとすると、幽鬼は笑って行っていいと言ってくれた。

箱を持とうとまで言ってくれたが、そこまでさせるわけにはと断った。

頭を下げて歩いて行くイワンに、幽鬼は錠剤を取り出して飲み下した。

そして、力を無くした棒を仕舞って、チャックをじー。

イワンも歩けば、棒に当たる。





「お返しください、本当に、お願いします!」

泣きそうになって残月の前に立つイワン。

彼の視線は、残月の膝の布に行っていた。

それは、クッションカバー。

大きなクッションの上に座って埋まるのにちょっとはまっていた。

が、そのカバーが今朝消えた。

そして、目の前のは明らかにそれである。

自分が布越しとは言え、頻繁に尻を乗せていたもの。

それだけなら良いが、何に使われるかわからないのが怖い。

残月は握りしめてはあはあするだけかもしれないが、怒鬼に売却された場合を考えると発狂しそうだ。


「どうかどうか、お願いします」


縋るイワンに、残月はすっと布を差しだした。

それは、靴下。


「君の物は私の物、私の物は君の物」


何とも迷惑な話だ。

こんな靴下をどうしろというのか。

すると残月は見透かして微笑んだ。

顔だけ見たら王子様なのに、中身は下着ドロなのだから残念だ。


「握りしめて、感じてくれ」


無理だ。

イワンはそういった趣味は無いし、第一恋慕すらない変態に渡された靴下を握って興奮なんて出来ない。

すぐ捨てたいし、第一触りたくない。

それが変な下心を内包さえしていなければ、全く平気なのだが。


「さあ、手を出せ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」


恐る恐る手を出すと、乗せられる靴下。

そして、荒くなる呼吸。


「お前の手に私の洗濯物が・・・・・・っ」


ああ、堪らんな!

良い笑顔で爽やかに笑いながら言うから軽減されているが、言葉を考えるとかなり異様だ。

イワンは黙って、踵を返した。

靴下を握り締め帰る道のりは、坂を上っているような気がするほどに苦しかった。





「失礼します」

「ああ、丁度良かった」

樊瑞が微笑むが、イワンは硬直している。

顔は真っ赤で、視線はうろうろと彷徨い。

絶妙なタイミングの為飽きの来ない、露出。

もろだしのそれがサニーの目に触れないのが幸いだ。

魔王もそこは一応親心があるらしい。

ロリコン心でない事を祈る。

しかし、イワンも頑張る。

気にしないふりをして、報告。

が、樊瑞の反撃、見せている事に興奮してむくっと膨らみ始める。

イワンのターン、受け流し。

樊瑞のターン、完勃起。

イワンはとうとう我慢できなくなって、顔を背けた。

が、樊瑞が一喝する。


「見て見ぬふりなどさせんぞっ!」


聞いても聞かぬふり出来ず突入してきた孔明が、言わずにおれない嫌味をぶちまけるまで、あと数秒である。





「えっ・・・・・・違うの?!」

サロンにて、セルバンテスはぽかんと口を開けた。

彼は今の今まで、印篭が方位磁石だと思っていたのだ。

正解は薬入れなのだが。


「あんなピルケースとか変だよ、私が正しいっ」

「・・・・・正しいと言われてもな」


顔を見合わせる日本組に、流石にこれ以上ごねられない。

セルバンテスは走って盟友の傍のイワンに抱きついた。


「うわああ、どうしよう、恥ずかしいよ」

「せ、セルバンテス様」


苦笑するイワンの動きが不意に止まる。


「あの、セルバンテス様?」


お尻を揉まないでください、と言いたかったのだが、遮られた。


「穴があるから、入りたいんだよねぇ」


狙っているのか本気で間違っているのかは分からない。

だが、調べる必要もないだろう。

取り敢えず、衝撃波を見舞う前に。

盟友の尻に葉巻をじゅっ。


「痛った!穴増えるでしょ!」

「増やしてやったのだ。入っておけ」





主の怪しい動きに心配になったイワン。

失礼を承知でそっと覗けば、お絵かき中だった。

アルベルトは非常に絵が上手い。

特に人物画。

今、紙の上に踊っているのは、イワン。

しかし格好に問題があった。

色々なアングル、というか、体位。

イワンのみを描いているが、こうしたらこことここが攻めやすいという覚書まで。

自分を凌辱する計画書に他ならない。

通常の情交にこんな奇抜な体位は必要ないはずだ。

そっと退がる。

夢中な主は、自分を呼びつけた事も、自分が来た事も、忘れて気付いてくれない。

健気な恋人は、ちょんとベッドに座って待ち始めた。

少し、寂しい。

それは、愛が無いというのではない。

興味を示して手放さず、計画まで立てるなら、それは執着だ。

そして、主は執着したものを愛で愛す傾向にある。

それが主の愛と楽しみを兼ねるならそれでいい。

でも、悔しい。

紙の上の淫らな表情の自分に夢中で、気づいてくれない。

あんないやらしい顔をしたら、振り向いてくれるの?

やりたくてもどうしていい分からなくて、少し憂鬱に感じた。

憂うイワンは、アルベルトの視線が自分に絡む事に気が付いていなかった。

アルベルトはアルベルトで、今まで気づかなかった恋人がいて驚いていた。

そして、いい年してお絵かき、しかもいやらしい落書きに注釈までつけていたのがばれたかと、ちょっとどきどきしていた。

が、恋人の憂う表情に唾を呑む。

愛らしい顔が憂いの顔をするのはなんとも妖しい色香が漂い、酷くいやらしい。

未亡人の様な、禁欲と淫猥が混じる。

そっと手を伸ばし、触れた。

主が机から離れている事に気付いたイワンが顔を上げる。

えっちな落書きをする38歳。

そんな御主人様が好きで仕方のない33歳。

百年の恋も、醒める予定は無い。





***後書***

ことわざじゃないのも混ざっています(すぐ分かるよ…)