【 聖夜企画 】




膝枕でうとうとするのは気持ちが良い。

腹を軽く叩かれるのも悪くない。

青年は夢現つに彷徨いながら眠たげに目を瞬かせた。

あたたかい膝に頭を預けて微睡む。

強引に連れ回せば困った顔をする。

無理な命令をすれば泣きそうな顔をする。

だが、全てが嫌になって我を通そうと躍起になると、必ずこうやって膝枕をしてくれるやさしいひと。

いつからかも、切っ掛けも覚えていない。

だがそんな記憶はあろうが無かろうが構いはしない。

ただこのぬくい膝があればいいのだ。

寝息に変わった青年の吐息に、小さく笑う気配がした。


「お休みなさいませ、レッド様」





繕い物をする白い指は慣れたもので淀みなく動く。

男はその指をじっと見ていた。

人一倍忙しいのに、衣替えで出てきた数枚の繕い物を買ってでてくれた。

特注のそれは気に入りで捨てたくなかった。

やんわり申し出た彼はそれに気付いているのだろう。

針を摘んだ指先。

器用に動くそれは見ていて楽しめる。

たまに、思う。

突然全てを奪われた彼の未だ癒えぬ疵を。

いや、それは永久に血を滴らせるだろう。

癒える日など、来ない。

全てを捨てて己の探求心だけを追った己とは九十度の対岸。

辛くは、ないのか。

聞いたところで詮無い。

時折このやさしいひとを労う茶を振る舞う事で、自分の庇護欲を満たすだけだ。

見つめていると、気付いて首を傾げる。

僅かに甘い、微笑み。


「どうかなさいましたか、十常寺様」





髪を梳かしてもらいながら、青年はぼんやりと窓の外を眺めた。

つやが悪くすぐに切れる髪を丁寧に梳くのが嬉しい。

否、行為が嬉しいのではない。

躊躇いなく触れてくれる事が嬉しいのだ。

いつも、一人だった。

奇異と嫌悪の目が当たり前だった。

手を差し伸べてくれた人は、いつも忙しくて。

ひとり待つのが淋しかった。

子供と大人の境の齢には、心が軋んだ。

その時に初めて会ったやさしいひと。

ズタズタになった心が手に取るように分かる。

なのに、見えている姿は凛と優しく。

自分が、恥ずかしかった。

いつも周りを責めてばかりの自分が。

淋しいのなら追えば良い。

持てる力の全てを用いて隣に立てるようになれば。

十傑に昇進し、顔見せの前。

やさしいひとは綺麗に髪を梳いてくれた。

躊躇いなく、触れてくれた。

僅かに笑んで見上げると、柔らかく微笑み返してくれる。


「痛くはありませんか、幽鬼様」





膝に側頭を乗せて耳を掃除してもらう。

自分の家族であり部下は血風連だ。

鍛練の厳しさとは別に、おんぶに抱っこで育てられた自覚はある。

だが耳を触らせたことはない。

片目が役に立たぬ以上、耳は残った目と同じくらいに重要だ。

誰にも触らせる訳にはいかなかった。

万が一は、あってはならない。

いつの事だったか、砂漠での任務で砂が入り込んだ。

帰還して直ぐに耳を繕った。

耳掻きから落ちるそれを上手く掻き出せず焦った。

酷く焦燥した。

苛々と耳を掻き回していたら、嗜められた。

お耳を傷めます、と。

悩み迷い、器用な彼に任せた。

2,3分であの不快感は綺麗に無くなり、驚いた。

同時に、馬鹿な自分に笑ってしまって。

血風連にも触らせない耳を預けて、心地よかった。

気を張っていたのが緩む、僅かな時。

それを忘れられなくて、わざと耳掻きを怠ってみたりする。

そして耳を気にする仕草をすれば、やさしいひとは直ぐに気付いてくれる。

心地よい気の緩みをもてる。

耳に触れる指に笑むと、不思議そうにする。

細かな塵をふっと吹かれた。


「反対を向いてください、怒鬼様」





ぱちん、と切り揃えられる爪を眺め、男は己の自慢の指を扱う白い指に目を留めた。

ピアノの鍵盤の似合う指だ。

僅かに変形した中指の第一関節は工具のたこか。

やすりをかける擽ったい感覚。

この血塗られた指を慈しむように扱ってくれるたった一人の存在。

傷だらけの心を抱えた儚げな、芯の強い人。

一歩退いて冷めた自分と違い、人を抱いて暖め、失い傷つくやさしいひと。

恋愛はゲームだ。

友情など腹の探り合いだ。

引き際を見極められなければ、痛い目を見る。

でも、このやさしいひとが泣いたなら。

自分を暖めてくれるこの人が涙を零したなら。

引き際を考えずに、自分の気の済むまで傍にいて。

涙を拭ってあげたい。

君が恐れぬ、この指で。

けしてこの人は泣かぬと分かりながら、抑えられぬ身勝手な願望に苦笑する。

やさしいひとは、異端な白い目を見て柔く笑ってくれた。


「左手もお貸し願います、ヒィッツカラルド様」





首に巻かれるネクタイ。

若い頃はこれが苦手だった。

否、今も苦手だ。

首に巻き付く手を思い出す。

異端な能力を持つ我が子に怯え、苦しみ、疲れ果ててしまった女性。

泣きながら「すぐに行くから」と。

暗くなる視界、回らなくなる頭。

手が離れ、咳き込んだ。

顔を上げた先には、部屋中の物に攻撃を受けた何かの肉片が転がっていた。

今も付き纏う、首を絞める手の感触。

苦痛を誰にも、我が子のように育てた青年の能力でも悟らせずに来た。

たまに、同僚に仕えるやさしいひとにタイを巻いてもらう。

性別も違うし、一つだって似ていない。

だが、まだ幸せだった頃につないでいた手を思い出すのだ。

今度こそ、失わない。

能力を恐れずに接してくれるこのひとを、守ってみせる。

想いを胸の深くにしまって僅かに笑むと、見上げて笑い返してくれた。


「苦しくはありませんか、カワラザキ様」





眠気覚ましの濃いコーヒーを流し込む。

荒れた胃に痛みが走った。

そのままペンを取ろうとした。

が、伸びてきた白い手がそれを奪う。

睨み付けた。

何をするのだ。

邪魔をするな。

奪い返そうとしたら、とても強い目で睨まれた。

思わず怖気づく程に、真剣な瞳。

自分より遥かに弱いのに、分かっているのに。

動けなくなる。

魅せられる程に美しい黒真珠。

少し意識が逸れた事で、僅かに周りが見えた。

ひどい状態の自分に気付いて苦笑すると、目の前に立つやさしいひとは、とても心配そうに叱ってくれた。


「いい加減になさってください、樊瑞様」





焼け落ちた街を眺める。

粗方形が壊れて何を、と思うが、似ていた。

昔暮らしたあの街を。

弟と戯れながら丘を駆け上がり。

朝日に輝き始める街を眺めるのが好きだった。

眠い朝も、寒い朝も。

飽きずに毎日、弟と。

任務を失敗り団に囚われ。

もう戯れる事叶わぬ弟と殺し合うため、十傑の末席にいる。

大好きな弟を、死ねない身を盾に苦しむ弟を解放するために。

帰りたくもない場所に帰る。

全てを捨てて消えたくなるのを引き止めるのはただ一言を求めるがゆえ。

柔らかく甘いそれを求め、踵を返す。

やさしいひとは、一晩で一街焼いた自分を労るように迎えてくれた。

早く聴かせて欲しい。

仄かな色の唇が開く。


「おかえりなさいませ、残月様」





空腹を訴えたら、出ていってしまった。

いい加減に書類を書いていたのがばれたのだろうか。

溜息を吐いてしまいそうだ。

あのひとの料理はとても美味しい。

盟友の従者として必要に迫られて、という感じではない。

あのひとの作るものはとてもあたたかくて優しい味がするから。

それが家庭料理でもそうでなくても。

自分の記憶にはそういった類の料理は他に無い。

凶眼持ちは一族の恥と幽閉され、扱いは良くても孤独なのに間違いはない子供時代。

冷めかけの料理など味を気にした事もなかった。

団に入り、盟友を得て。

彼が男を拾い、傍に置いた。

大して何の突出点も見られないから不思議だった。

ある日、二人して酒に潰れた。

翌朝に出されたのは、オムレツ。

深酒が過ぎた次朝は必ずこれなのだとか訳の分からない事を言う盟友に生返事をして、一口。

フォークを噛んでしまった。

食べた事のない、優しい味。

今も記憶に色褪せぬ。

ペンを放り出して机に突っ伏す。

ドアが開く音がした。

大好きなやさしいひとが手にした皿。

その上にはあのやさしい味の。


「オムレツはいかがですか、セルバンテス様」





見上げてくる従者の唇に目が行く。

口づけたいと思った。

甘そうな唇が動く。

慕情を滲ませた柔らかな笑み。

自分は言わない癖に、不安だけは一端に感じる勝手な男を安心させる声。

愚かしいほど直向きな、やさしいこいびと。


「お慕いしております、アルベルト様」





***後書***

今回のルール…一人最低一回「やさしいひと」。章の末尾…「〜、○○様」。

何故聖夜UPがおかあさん企画と呼べる勢い。あんたら甘え過ぎなんだ、歳考えろ。

最終章は失敗臭い「やさしいこいびと」でした・・・。