【 御主人様のお気に召すまま-151 】
「おや、ひとりかい?」
「えっ・・・・」
某国、真昼間の橋の欄干に寄りかかってサンドイッチを食べていたイワンは、頬を染めて頷いた。
「お恥ずかしいところを・・・・」
「いや、任務明けと踏んだから声をかけたんだが・・・・・」
にこりと笑うのは、韓信元帥。
国警トップの男だ。
イワンの隣に立って同じように、高めの欄干に寄りかかる。
鴨やアヒルがぷかぷか泳ぎ、良い陽気だ。
「私も最近は飛びまわっていてね。張良に叱られてばかりだよ」
「お疲れ様です」
疲れた溜息をついているが、目が笑っている韓信。
イワンからサンドイッチを取り上げ、一口。
「ああ、美味しいな」
どこで買った、と聞かれ、イワンが苦笑する。
「この辺りのパン屋はこのタイプのサンドイッチが無かったのです」
泊まったホテルの簡易キッチンで作って、昼食にしているのだという。
手当てが出ないわけがないが、この美味しさなら買う気もなくなる。
味付けを聞くと、塩と胡椒。
ピリッとしていると思いつつもう一口かじって返すと、イワンがくすくす笑う。
「レタスではないのです」
「ん?」
開いたパンの隙間から覗くのはレッドマスタードとルッコラ。
確かにこの香草ならマスタードいらずで、しかもレタスが無くても大丈夫だ。
「うん、美味しかった。じゃあ、行こうか」
「え?えっ!」
サンドイッチを食べ終わるのを見計らったように、公衆の面前で抱き上げられ、攫われる。
韓信が余りに紳士的で通報されないのが救いだ。
連れていかれた先は、立派だが小じんまりした館。
どうやら韓信の私邸らしい。
中に運ばれ、壊れもののようにソファに下ろされる。
おでこに軽く接吻され、目を瞬かせて見上げた。
「お礼をさせてくれ。張良たちは残念ながら今日はイタリアの方でね」
二人きりでは恥ずかしいか?と微笑まれ、苦笑してしまう。
大丈夫と首を振ると、韓信は薄手のコートを壁にかけて袖をまくった。
台所に立って、イワンに話しかけつつ手を洗う。
「最近は暖かくなってきたが、広範囲を飛び回ると全く季節感が無くてね。体内時計が狂いそうだ」
「ええ・・・・・仕方が無いですが、時折自分の標準時刻を求めたくなります」
ソファに座りなおしたイワンに煎れるのは、温かい麦茶。
「さっき出る前に炊いたんだがね、、まだ温かい」
「ええ、温かいの、好きです」
たまに主が求めると、濃い目に作って冷ます前に味を見る。
だから熱い方が飲みなれているのだというイワンに、韓信が苦笑する。
「君は衝撃のアルベルトが好きで仕方が無いんだな」
「えっ」
「いやいや、悪い事でないさ。ただとても羨ましいよ」
恥ずかしそうに俯くイワンに微笑み、冷蔵庫から出した蟹を捌く。
「私は仕事柄、冷たくある事がすっかり染みついてしまってね。君のようにはなれそうにない」
「韓信様・・・・・」
「悪いとも、悲しいとも思わないよ。私の信じた道のためだ。だが・・・・どうも、君にはそうはいかない」
イワンが目を瞬かせると、韓信が顔をあげた。
目が合う。
酷く格好良く、笑っていた。
「柄にもなく、夢中なんだよ」
「っ・・・・・」
俯いたイワンに苦笑する。
悪の結社の幹部の傍仕え、おまけにその恋人なのに、こうも純情で初心だ。
真っ赤な耳が、可愛くて仕方が無い。
「君は人気者だから、不安だよ」
「み、皆様からかっておいでなだけで・・・・」
「ならなおさら不安だ。君はそういった遊びに慣れていない」
イワンが首を傾げると、韓信がやんわりと微笑んだ。
「遊ぶだけ遊ばれて、放り出されたら。君は壊れてしまうだろう」
ぞく、と悪寒が背筋を走って、イワンは唇を噛んで俯いた。
あの方からの溢れ零れる愛は感じているけれど、自分はこんなで、あの方は余りに魅力的だ。
実際はそうであっても、彼の方が皆を虜にして回っている。
アルベルトだって戦々恐々なのだ。
イワンは少しの不安をそっと包みこんだまま、韓信に微笑んだ。
「あの方が要らないと仰れば、消えます。ですがあの方が求められる限り、私はお仕えし、愛を捧げます」
「・・・・・君のその目が好きだよ」
「えっ・・・・・?」
韓信が、目を閉じて苦笑した。
「君はその心が酷く美しい。直向きで、純で、とてもしっかりとした考えを持っている」
私はそれが好きだ。
そう言って笑う韓信に、イワンは困ったように笑って頬を染めた。
「そ、そのように好きだなんておっしゃらないでください」
「慣れていないか?」
「はい・・・・・」
確かに、あの男は愛を囁くタイプではなさそうだ。
逆にその盟友は軽々しく口にしていそうだ。
純情なイワンに微笑み、卵を割る。
「3分程度で持って行くから、テーブルをあけておいてもらえるかな」
「あ、はい。お手伝いは・・・・・」
「ああ、では箸を」
箸を持って行ったイワンに、遅れる事二分。
韓信が丼を二つ持ってくる。
「簡単なものだが・・・・実は蟹玉よりこちらが好きでね」
「随分ふわっとしていますが・・・・」
熱いうちにと言われ、箸を取って手を合わせる。
韓信も箸を取った。
小ぶりのどんぶりに盛られたのは、カニの香り芳しい卵の丼。
とろとろ卵だが、それでもかなりふわりとしている。
口に含み、イワンは頬を緩めた。
「美味しいです。お豆腐ですね」
「ああ、料理する人間はすぐに分かってくれて嬉しいね」
蟹と卵を、とろとろふわふわにするのは少しの豆腐。
甘く柔らかな味にまろやかさが加わり、クリーミーでとても美味しい。
「・・・・少し、意外です」
「ああ、料理をするようには見えないと言われるよ。実際付き合いで外食が多いから、季節の物を食べたいと思ってもなかなか買えなくてね」
「春野菜は直ぐに傷んでしまいますから・・・・・」
「ああ、春蕾くらいは一度食べておきたいよ」
溜息をつく韓信に、イワンが苦笑する。
「あれを食べていると、段々・・・・・」
「ブロッコリの芯みたいな感じがするんだろう?」
「はい」
頷くイワンに、韓信が苦笑する。
「まあ、ふきのとうだとか、春蕾だとか、芽だからね。分かるよ」
「ですが、春はとても感じます」
「ああ、それが・・・・・君は香草や山菜も平気なのかね?」
「ええ、鍛えられました」
多国籍な十傑に毎年つき合わされれば、それは大概のものが大丈夫にもなるだろう。
初めて年越し蕎麦を茹でた時の啜る音の悪夢に慣れるのに20分かかったとか、納豆はあまり抵抗が無かったとか。
うなぎはかなり驚いたとか、イナゴの佃煮を食べる時は思わず目をつぶったとか。
小1一時間話し、時計を見たイワンはソファを立った。
「そろそろ、お暇します。韓信様も、お忙しいでしょうし」
とても美味しかったです、御馳走さまでした。
そう言って手を合わせてくれたイワンを思わず引き寄せそうになり、踏みとどまる。
ただ思わず出た手をそのまま滑らせ、頬を撫でて微笑む。
「私も随分癒されたよ、有難う」
別れ際送るという韓信の申し出を笑って辞退し、イワンは歩いて行った。
その後ろ姿を見つめ、韓信が軽い溜息をつく。
「やれやれ、また張良に嫌味を貰うな」
こんな締まりのない顔と、その理由にきっと気付かれてしまうから。
後日、イワンはサロンでクレソンをゆがいていた。
ふきのとうや春蕾は時期が過ぎたが、春夏が全盛のクレソンはまだたくさん出回っている。
それを出汁に入れ、さらに片栗をまぶしてゆがいた豚の薄切りを。
出汁にうっすらと脂が浮かび、クレソンのさわやかな香りが漂う。
何ともうまそうなそれを温かいうちに器によそい、小腹が減ったと騒いでいたレッド含め皆に配る。
「お口に合うか、分かりませんが・・・・」
「否、うまい」
すぐさま食べ始めていたレッドが間髪いれずに答え、皆もそれぞれに美味いと言う。
「春らしいな。今年はあの作戦でグダグダだったが、やっと春と言う感じがする」
残月の言葉に、イワンが頷く。
「はい、私も季節を忘れかけていたのですが、韓信様とお話をして・・・・」
「待て、韓信だと?」
「イワン君、あれほど変なおじさんにはついて言っちゃだめって言ったでしょ!?」
口を挟んだ盟友組に、イワンがきょとんとする。
「韓信様は、別段そんな・・・・・」
騙されている小羊に、十傑は危機を感じた。
日ごろからちょっかいかけている自分達は、お触りぐらいは許される代わりに危機感も感じられている。
だが、あの男はお触りすらしない代わりに信頼にも似た感情を会得しつつある。
「・・・・・どうする?」
「殺っておくしかあるまい」
イワンの目の前で殺害計画が立っていく。
が、腕っ節と頭を総合して国警トップの男に、果たして簡単に勝てるのだろうか。
「よし、孔明呼んで来い!」
「ああ、それが良い」
「みなさん、決算書類に落書きをするなとあれほど・・・・!」
頷きあう男達の中に運悪く突っ込んできた孔明に、イワンはとりあえず御浸しを渡した。
「頑張ってください」
何の計画か分からないけれど、皆真剣だから。
きっと大事なことなんだと、信じて。
可哀想な彼は、11人の真意を知らない。
***後書***
幻惑が一番『変なおじさん』に近いと思いますが、誰も気づかないのでよしとします。元帥絶対こんな人じゃない、私はこうと信じる!(妄想)