【 御主人様のお気に召すまま-152 】
「やめないかっ!」
酔っ払いに絡まれていた陽志は、よく通る怒声に顔をあげた。
適当なところで殴って黙らせようと思っていたのにと思ったが、その前に割り込まれる。
庇うように立つのは、旦那の宿敵の従者・・・・兼恋人。
それはそれは怒っている様子だが、びしっとした雰囲気でいつもの頼りなさはない。
「大の男が寄ってたかって女性に絡むなど、恥を知れ」
余りの剣幕に、酔っ払いたちは及び腰だ。
うだうだ言いながら退散していく。
イワンが陽志の手を引いた。
「少し待った方が良い。目立つから」
「あ、ああ、そうだけど・・・・・」
バーに押し込まれ、戸惑う。
初めてイワンがしっかりしているところを見た気がする。
いつもすっかり痛めつけられて半分病んだような状態しか見ていなかったが、意外と男気があるではないか。
隣り合って座り、酒を注文する。
陽志がウーロンハイを呑んでいると、イワンはショットグラスを持っていた。
高い度数のが飲めるのかと意外に思っていると、イワンが不審げな目を向ける。
「・・・・なんだ?」
「いや、あんた酒に強いのかい?」
「ああ、弱くはない」
ぐいっと飲み込む仕草は自然で、慣れているらしい。
薄ぼんやりした光に照らされる姿は、男としてだけではない色気を漂わせ、何だか酷く艶っぽい。
「助けてもらって悪いけど、あんなの慣れてるよ」
陽志の言葉に、イワンが溜息をつく。
「慣れていようが、大丈夫だろうが・・・・私はお前が色目を使われて蔑ろにされるべきではないと思っている」
「?」
「お前は一人の戦士として、十分に敬意を払われるべきだ」
真直ぐ目を見て言いきったイワンに、陽志は心のどこかが軽くなるのを感じた。
戦士として、敬意を払うに値する。
九大天王の妻でありながら子をなせないと、どこかで自分を責めていた、引け目に思っていた。
それを払拭してくれるのは、たった一言で、それへの直接的な話ですらない、たった一言。
切なく、しかし明るく笑い、イワンに目を向ける。
「・・・・・照れるじゃないか」
「そうか?」
なんでもなさそうな姿が、益々格好良い。
さぞもてるだろうと思うが、話を聞かないところを見ると恋愛下手なのかもしれない。
「・・・・あんた、最近どうだい?」
「別段変わりはないが・・・・」
不思議そうなイワンに、にやっと笑う。
「元帥とデートしたらしいじゃないか」
「でー・・・・あ、あれはそんな・・・・・」
「男の家にほいほい上がっちゃ駄目だろ?」
その言葉に、イワンが苦笑する。
「それは、その、人にもよるだろう?」
「おや、韓信様は安全牌かい?」
「ああ、あの人からそういう感じは受けないし・・・・」
すっかり騙されているなぁと思いつつ、陽志はもう一口酒を呑んだ。
こんなにしっかりしているのに、何故こうも自分に向けられる色恋や欲望には疎いのだろう。
「辛い思いは、してないかい?」
陽志の言葉に、イワンは目を瞬かせ、柔く笑った。
「・・・・勿体ないくらい、大事にして頂いている」
幸せそうで誇らしげな笑みに、陽志は軽い溜息をついてイワンの頬を撫でた。
「それなら良いけどね、無理はしちゃ駄目だよ?」
「ああ・・・・・」
柔らかく笑って目を閉じ、されるがままに頬を擽られる。
恋愛下手かもしれないが、色っぽい誤解は受けやすそうだ。
「春先だけど、体調は?」
「うん?ああ・・・・別段崩してはいない」
お前は、と聞かれ、陽志が声をひそめる。
「旦那に暖めて貰ってるからねぇ・・・・」
「っ・・・・・」
頬を染めて目を逸らすのが可愛くて、笑ってしまう。
「あんたも変な男だねぇ。曲がり間違うとあたしがあいつを抱いてそうなんていう奴もいるのにさ」
「はあ?どう考えたってそれは無いだろう・・・・・」
お前は旦那と二人きりの夜、そうやって男勝りではいられないんだろうし。
普通に言われて、面食らう。
頬が熱くなるのを感じた。
イワンはもう新しく注文した酒を煽っている。
「女性は皆そうだ。どこかで少女や乙女のままだ、一生」
「・・・・・・・・・あ、あたしは」
「それは悪い事でないよ、愛らしくて良い事だ」
「っ・・・・・・」
益々頬が熱くなる。
まるで幼少からの歩みを見ていたように、自分の中に残る乙女心を見抜かれる。
何だか恥ずかしくて、でも、少し嬉しくて。
恋とは全然違うけれど、恋人が出来た友人同士の会話のように感じてしまう。
もうそんな年で無いと知りながら、酷く楽しかった。
「あんたは、前みたいな事はないのかい?」
「前?」
「ああ、衝撃のがうちの人に当たり散らしていったよ」
抱き合った夜も明けきらぬのに、帰っちまうんだろ?
色っぽさの残った顔で朝食を用意してるの見るとムラムラするんだってさ。
「朝まで惰眠を貪りたいとか思わないのかい、好きな男に抱かれてさ」
「そ、それは・・・・・」
言い淀んだイワンの目は泳ぎ、頬は染まっている。
「ね、願う事が一度もなかったわけでは、無いが・・・・・」
「頼めばいいじゃないか・・・・いや、あんたが逃げ出さなきゃいいだけか」
「っ・・・・・・た、たまに寝過ごす事は、ある」
小さな声に耳を寄せると、蚊の鳴くような告白。
「ぁ、朝日の中のアルベルト様が、格好良くて、ど、どきどきしてしまって、顔が見られなく、なる」
「はぁ・・・・・・・?」
旦那もその宿敵も、どう考えてもおっさんだ。
確かに衝撃のは男前だが、そんなに惚れ惚れするだろうか。
「た、逞しい、腕とか、胸とか、す、凄く格好良くて・・・・・」
「ああ、ちょっと落ち着きな」
顔を真っ赤にしてしまっているイワンに水を渡せば、素直に飲んだ。
苦笑して、聞いてみる。
「あんたも随分惚れてるねぇ。抱こうとは思わないのかい?」
「・・・・・・・正直、そういう願望は無いんだ」
イワンは少し困った顔をした。
「あの方がそういう快楽を求められるなら、私はすべきかもしれないが、正直自信は無い。
あんなに心地よい事を私ばかりが貪るのは気が引けるが、でも・・・・・・」
あまりに可愛い告白に、笑いそうになってしまう。
すっかり躾けられて、身体も作りかえられてしまったひと。
男を受け入れてそこまで感じられるのは才能だし、Gスポットもない前立腺への刺激のみに頼る性交がそんなに気持ちいいのは羨ましい。
が、アルベルトは死んでもお断りだろう。
恋人がねだれば1兆歩譲って我慢するかもしれないが、相当嫌だと思う。
気位が高く、俺様で帝王。
おまけに恋人はこんな可愛い仕草と良い身体だ、これじゃ天地がひっくり返ったって役割は逆転しない。
「ふぅん・・・・・まぁ、いいんでないかい?練習なんてしようもんなら、あんたまた折檻されるよ」
「また、って・・・・・?」
「自覚なし、か」
折檻も自分への罰と認識しているイワンは、いわれの無い虐待も堪えていた。
愛故だとは言え苛烈を極めたそれに疲れて、戴宗に拾われてきたのは記憶に新しい。
「あんた、悪くない時は主張しなきゃ駄目だよ」
「そ、それはそうだが・・・・ちょっとぐらいなら・・・・・」
「ちょっとぉ?」
陽志が胡乱な眼を向けると、イワンが微笑む。
「我儘や拗ねなら、甘やかして差し上げたいんだ・・・・・」
「・・・・あんたが原因かい」
あの我儘男を10年かけて形成したのかと思ったが、よくよく考えるとそうでもない。
仕事と恋の線引きはしっかりしているし、気持ちが通じるまでは従者に徹していたようだ。
身体を張って諫め、尽くし、世話をし。
アルベルトがやきもきして当たり散らしても、ただ耐える。
自分から言うなんて出来なかったのだ。
求められて、恋人として接し始め。
二人の呼吸の合わなさから、何度もすれ違った。
でも、最近は上手くいっているらしい。
アルベルトが当たりに来る事が減ったから。
きっと恋人と乳繰り合っているのだと旦那と話していたのだ。
「で、バレンタインは何かやったのかい?」
「ああ、普段通りのチョコレート菓子・・・・・」
「あんた意外と残酷だね」
「?」
きょとんとするイワンに、陽志が溜息をつく。
「付き合って初めての、恋人としてのバレンタインだろ?あの男は拘りそうだねぇ」
「そう、か・・・・?」
別段普通だったと言って2秒後、イワンの顔が赤くなる。
何か面白い話だと踏んで引っ張れば、案の定。
「・・・・・翌日は、匂いが取れなかった」
「なんだい、しっかりチョコレートやったんじゃないか」
「う・・・・・・」
ホワイトデーはとつっつくと、少し考えて首を振る。
が、頬が染まっているのに逃がす陽志ではない。
「吐きな」
「ら、ラスク・・・・・」
「?」
ラスクでのプレイなんて思いつかない。
が、もごもごと語られる内容に、陽志は思い切り舌を出した。
「正気かい?あんな生臭いもん・・・・確かに白いけどさ」
「ま、前のクラッカーよりは、ましだ」
「ああ、そう・・・・・・」
クラッカーやラスクにわざわざ引っ掛けて食べさせるなんてもの好きな。
そう思ったが、イワンに餌付けするのは意外と楽しいかもしれない。
スモークサーモンが添えられたクラッカーを注文し、イワンに差し出してみる。
手を出すのを掴み、口に突きつける。
すると反対の手を出すから、クラッカーを咥えて反対も押さえる。
「よ、酔っているのか、青面獣」
「んんん!」
「わ、わかったから・・・・・」
さく、と齧ると、陽志が満足げに笑う。
そして丁度、ドアが開いて2人の客が入店。
「何故貴様に付き合わねば・・・・・」
「陽志がどっかいっちまってひま・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「んん、んんん!」
3人の時間が止まるが、陽志は笑顔で手を振っている。
イワンは人妻と手を握り合ってクラッカーでポッキーゲーム。
旦那二人は蚊帳の外。
「・・・・・・どういう事だ」
「何で俺なんだよ」
溜息をつき、戴宗が陽志の隣に座った。
「ウーロンハイ一杯じゃ酔わねえだろ」
「酔ってないさ」
そっぽを向く陽志に、戴宗の片眉が上がる。
「悪かったって。ろくすっぽ構わねぇで、酔って抱くだけだいた。でも、お前だけだろ」
「煩いよ」
ツンとそっぽを向き、陽志がイワンに寄りかかる。
「別に構わないんだよ、本当に・・・・・・」
どこか気だるげな陽志を、イワンが見上げた。
「・・・・・お前だって、素直に言えばいいじゃないか」
「?」
「拗ねているんだろう?」
「やれやれ・・・・・お見通しかい」
陽志が座り直し、戴宗を見やる。
「構えってんじゃないよ。怒ってもない。抱きたいなら抱けばいいさ、でもね」
あたしは酔っ払いが好きなんじゃない。
あんたが好きだから、抱かれてやったんだ。
陽志の言葉に、戴宗が決まり悪そうに目を逸らす。
「そりゃあ・・・・・」
「謝れとも言わないよ、今さら。でも、覚えときな」
豪快に笑って頭を撫でてくる嫁に眉根を下げ、戴宗は頷いた。
どうも嫁の尻に敷かれているイメージがある戴宗だが、実際は互いにべた惚れで陽志が思い切り戴宗を甘やかしているのだ。
「さあ、帰ろうかね」
「あ、ああ・・・・・」
「心を入れ替えたか見てやろうじゃないか」
にぃ、と笑う男前の嫁の可愛いお誘いに、戴宗が笑い返す。
「後悔すんぞ」
「させてみな」
イワンの分まで払って出て行ってしまった陽志とその旦那を茫然と見送り、イワンはアルベルトを見た。
「あの、よろしかったのですか?」
「ああ、構わん。捕まっただけだからな」
願ったり叶ったりだ、と溜息をつき、アルベルトはジンライムを注文した。
葉巻を取り出すとイワンがジッポを取りだした。
が、思い直したアルベルトは葉巻を仕舞った。
酒を呑みつつ、従者に顎をしゃくる。
「貴様は何が良いのだ」
「え・・・・あ、いえ、私は・・・・・」
「・・・・・・・・・」
目を細められ、苦笑して願う。
「では、テキーラを」
従者と酒を飲むのは初めてだ。
一方的に飲ませてみたりはしたが、外で飲んだ事はない。
テキーラを嬉しそうに飲んでいるイワンに目を向け、視線を外す。
自分のグラスをぼんやり眺めていると、視線を感じた。
目を向けると、薄ぼんやりとした明かりに照らされた恋人が、こちらを見ている。
優しく目を細め、嬉しそうに頬を緩め、頬を桜色に染めて。
首を傾げるが、一層嬉しそうにするばかり。
名を呼ぶと、目を瞬かせて慌てた返事。
「・・・・・・・・・・・・・」
酒を煽り、唇を歪める。
自分に見惚れるなど、可愛い事だ。
確かにそこそこ整ってはいる筈だが、普遍的な恋人の方が余程綺麗に見える。
恋に目が眩むと馬鹿になるというが、もう10年近いので違和感はない。
何を話すでもなく酒を呑み、グラスを置いて引き寄せる。
「・・・・・帰るか」
返事は、ライムの香りのキスに溶けて消えた。
***後書***
イワンさんと姐さん、戴宗さんと姐さん、イワンさんとアル様のお話。