【 御主人様のお気に召すまま-156 】



現在時刻、午前2時半。

国警北京支部には、未だ明かりがついていた。

節電週間なので、残業は基本的に禁止。

技術者チームまで家に帰され、家族の大切さを噛みしめている頃に。

中条静夫、45歳、残業中。

仕事量自体も多い、おまけに生真面目な性質だ。


呉先生の尻がどんなに触りたくても、職場でハメを外さない大人。

そして、そういう人間には仕事が押し付けやすい。

誰がやっても良いものまで、支部長官、九大天王の静かなる中条がやっている。

今の書類は、ゴミ置き場のカラス対策。

はっきり言って、この男がやっても良い対策は無さそうだ。

主婦の意見を聞いた方がまだいいだろう。

しかし、真面目な中条は悩んでいる。

延々40分も。

溜息をつくと、ノックがあった。

未だ誰か残っていたかと思ったが、許可を待って入室したのは呉学人。

心配で帰れなかったと恥ずかしそうに言って、おにぎりまで作ってくれていて。

二人仲良く食べていると、そこに来訪者。

それはもう邪魔だと思ったが、呉学人がきょとんとしているので堪えた。

見れば、絶対に過剰労働をさせられているオロシャのイワンを連れた混世魔王樊瑞。

片手には、酒の瓶。


「飲まんか、皆潰してしまってな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、遠慮する」


樊瑞の手の酒瓶は、自分の結構好きな銘柄。

変わった味で、確かに潰れる者は多い。

最近飲んでいない、残業ばっかり、呉先生は益々可愛い。

とうとう、折り目正しい中条が、投げた。


「・・・・・・・・・・飲む」

「おお、そうか」


かく言う魔王も絶対に酔っている。

でなければ国警に酒瓶掴んで乗り込んでなど来ないだろう。

嫁二人は、おつまみをと言って仲良く厨房に行ってしまった。

一応グラスに注いだ冷酒を、執務机に向かい合って呷る。


「・・・・・・・・・・この前、呉先生が、煮魚を作ってくれた」

「ほう、美味かったか?」

「ああ、中華以外に初めてチャレンジしたと言っていたが、美味しかったよ」


もう一口冷酒を呷り、中条は軽い溜息をついた。


「そのままなだれ込みたかったんだが、な」

「拒否されたのか?」

「いや・・・・・」


余りに美しい身体に、見惚れたよ。


「呉先生は意外と筋肉質でね、竹のようにしなやかと言うより、割とがっちりしている。着やせするタイプだな」

「ふむ」

「一瞬、本当に一瞬、万が一最悪、抱かれても良いと思う体だった・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」


ちょっと考えてみた。

普通に、一般的に考えて、中条が上だろう。

だが、下剋上も悪くは無い。

悪くは無いが、下がこれか。

38歳髭の葉巻虫よりなお悪い、45歳、髭にサングラスのパイプ愛好者。

そのまま自前のもパイプカットしておけば、呉学人も安心して・・・・・あれは男だったな。

まぁ、パイプをカットしてもバットは・・・・・45歳、まだいけるのか?

呉学人が28歳、年の差なんと17歳。

万一ベッドインしても、中条が潰れて不満の後に破局とか。

もういっそと悪夢実現、呉中とか。

段々背中が痒くなってきて、思い切って聞いてみる。


「まだ使い物になるのか?」

「木製なんて言ってくれるな、金属バットだよ」


爽やかかつ渋く笑ってもらっても、嬉しくない。

そういうものは呉学人に大盤振る舞い・・・・・まて、さっき妙な事を言っていなかったか?


「・・・・・平均何回だ?」

「女性かね?」

「いや、呉学・・・・・」

「先生を穢さないでくれ」


すっと首に当てられたのは、大ぶりのタガー。

どこから出したか甚だ疑問だが、中条はそれを壁に投げつけた。


「触れたよ、だが、まるで子猫や雛鳥を手に包んだようだった・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


段々胸やけがしてきたが、悪酔いではないだろう。

大体、静かなるとかいう割に、サイレンの如く呉先生呉先生と叫んでいるのだ。

もういっそ静かなるサイレンで良い、サイレントサイレンで良い。

何で年がそう違わない男の恋愛相談室をやらねばならないのかと思いつつ、そこは樊瑞も酔っている。


「まぁ、煮魚の話だが・・・・・手料理は嬉しいものだ。栄養剤漬けの仕事明けに、イワンが必ず弁当をくれてな」

「ああ・・・・彼は料理が上手かったな」

「大体栄養の補正が出来て、満腹よりやや少なく眠りやすいのだが。・・・・・ああ、そう言えば海老チリは呉学人に教わったと言っていた」

「ほう」

「味が良かったな、割と甘めだった」


樊瑞の言葉に、中条は首を傾げた。


「呉先生のは、割と辛めだ。それはオロシャのイワンが体を思いやったんだろう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・かもしれんな」


溜息をつく樊瑞に、中条が酒を注いでやる。


「諦める気も無いんだろうが・・・・・奪えそうには、見えないな」

「ああ、無謀も無謀、希望は皆無だ。無理に奪えば、イワンが壊れてしまう」


優しい瞳が、酷く疲れていた。


「いっそこの手で、と思う事がある」

「・・・・・・・・・・・・それは私も同じだ」

「うん?」


中条が苦く笑って、手を見つめる。


「地球を半壊させる拳、とはよく言ったものだ。本気で打てば私は死ぬ、半壊した地球は恐らく崩壊する」

「・・・・・・・・連れていくんだな」

「ああ・・・・・先生は怒るかも知れんがね。きっと『一緒に生きていられる方法を考えます』と」

「まだ若いが、三軍師も認めているんだろう」


三軍師、韓信、張良、司馬懿。

それに適わずとも、軍師以外に科学者としての頭も相当の呉学人は、かなりの人材だ。


「呉先生は、何も知らない。私が歪んだ欲望を感じている事も、何も。私が愛していると言って、応えてくれるが、あまりに奥手だ」

「ああ・・・・・事に及んだら知恵熱を出しそうではあるな」


くっと笑って冷酒を呷り、樊瑞は首を傾げた。


「まぁ、イワンも大概純情だ。身体は上物、良い具合になっているが、心根が純でなぁ・・・・・」

「ああ、純情に見つめられると、自分がとんでもない悪人のように感じるよ」


実際、常識人の中条はセクハラすらしない。

現実、変質者の樊瑞は露出しまくっている。

これは国警とか悪の結社とか以前に、本人のまともさの問題だと思う。

しかし、二人は気付かない。


「だが、一念発起してね。ホワイトデーに下着を贈ってみたんだ」

「ああ、良いんじゃないか?脱がせたいという一般的なアピールだろう」

「いや・・・・・穿いてくれないんだ」


深い溜息をつく中条。


「白のTバックだったんだが・・・・・矢張り紫が良かったんだろうか」

「ああ・・・・・・そうかもしれんなぁ・・・・・」


呉学人と言えば、何故かどぎつい紫の下着。

あんなおとなしそうな顔をして何故下着があの激しい色合いなのか甚だ疑問だ。

が、中条は苦悩する。


「あの時一瞬見えた紫の下着を思うと、年甲斐もなく6発以上抜かないとおさまらなくてね・・・・・」


その辺はやっぱり、九大天王。

十傑と同じくらい元気らしい。

一瞬で脳裏に焼き付けた下着の記憶で6発抜けるのも才能だが、そんなものは微笑ましい。


「そうだな・・・・儂もイワンの幼少期を想像すると5発は抜ける」


写真や記憶ですらない妄想。

それで5発抜ける樊瑞も、ある種の才能が残念な方向にめきめきのびている。


「呉先生・・・・・・」

「・・・・・・イワン」


肩を落としているおっさん二人に、嫁が帰着。

呉学人は何故か山盛りのゆでたまご、イワンはアボカドとかにかまのサラダ。

前者はどうかと思うが、後者は冷蔵庫にあったものだろう。


「ああ、お帰り」

「長官、お酒の途中に卵をお食べになるの、お好きでしょう?」


優しく微笑む中条に、呉学人が寄りそう。


「色々な硬さに仕上げましたから、言って下されば、お剥きしますね」


・・・・・中条の目が、サングラスの下で鋭くなる。

色々な硬さ・・・・・剥いてくれる・・・・・?

ちょっとぴくついている砲身を気力で萎えさせ、微笑む中条静夫45歳。


「ああ、では一番硬いのを・・・・・」

「はい」


呆れている樊瑞は、呉学人から卵を一個貰って食べている。

そんなに大量にいらないし、かた茹では胸が詰まるから貰ったのは半熟。

黄味がごろっと外れ、僅かな黄身が付着した白身が手に残る。

白身を塩なしで食べるのはきついと思っていると、イワンが苦笑して手を差し出す。


「あの、詰めてみましょうか?」

「ああ、それは良いな」


へこみに詰められる、カニカマとアボカド。

食べると、優しい味付けに舌が心地良い。


「・・・・・もう一杯飲んだら、帰るか」

「では、車を」

「否・・・・・あれは一般任務用車両だろう?」

「はい、そうですが・・・・・」

「国警に寄贈しよう」


残りの卵を口に放り込み、樊瑞はイワンを抱え上げた。


「またな、中条」





数日後、呉学人の寝顔を見つめながら、中条は去り際の樊瑞を思い出していた。

どこか悟りきったような、諦めのような。

しかし今の恋を誇る、清々しくも格好良い、男の笑み。

それで良いのだというが、それで幸せではないだろう。

自分の方が恵まれているのかもしれないと思いながら、パイプを置いた。

そしてそっと。

呉学人に白のTバックを穿かせておいた。





***後書***

最後の最後で、全てを破壊するにゃるぷんて。