【 御主人様のお気に召すまま-166 】
「イワン君、キスしていいかなっ」
わくわくした瞳で言われ、イワンはサロンで首を傾げた。
アルベルトは、既に眉間のしわを3割増しにさせてこちらを見ている。
「セルバンテス様?」
「イワン君の頭にね、キスしたいんだ!」
「・・・・・・・・・・はあ」
曖昧に頷く以外になにが出来ようか。
頭と言えば確かに出来なくはない、自分は禿頭だから。
髪にと言わず頭と言うのも頷けるが、しかしまたどうして突然。
「駄目かなぁ?」
「ええと、あの、か、構いません」
寂しげに微笑まれ、思わず頷く。
ちゃんと今朝もシャワーを浴びたが、何となくハンカチで拭ってみた。
「じゃあ、座って」
「はい」
ソファに座らされ、どうしようかと思ったがそのまま正面を向いておいた。
セルバンテスが回りをぐるりと一周し、頷く。
「此処にしようかな」
頭の天辺、少しだけ骨に窪みがある部分を指で触られて、思わず上を向いてしまう。
くすりと笑われ、慌てて前を向き直した。
が、すぐ傍に整った顔があってぎょっとする。
「れ、レッド様?」
「私も参加する」
その後ろにやおら集まりだした十傑に、イワンは怯えそうだった。
何故自分の頭にキスをする事にそんなにこだわるのか分からない。
ただ伝わる気迫が、少し怖い。
「じゃあ、ちょっと我慢してね」
「がまん・・・・・?」
聞き返そうとした瞬間、チクリとした痛みが走る。
吃驚して手をやるが、これはどう考えたって痕がついてしまった筈だ。
いつも過剰なスキンシップを断りなくやる上司がわざわざ断りを入れた意味を察し、苦笑してしまう。
「お戯れが過ぎます」
「そうかなぁ?結構可愛いよ?」
くすくす笑われて微笑み返すと、右から左に視界を横切るスーツと赤いマフラー。
反時計回りにぐるりと回って品定めするレッドを見上げるわけにもいかず、じっとする。
「よし」
「?」
「此処が良い」
彼が指差したのは、おでこの上辺り。
毛髪が後退していなければ、2センチ程度髪の中であろう部分。
「じっとしていろ」
「はい」
どうせ聞かないのだから、この可笑しな遊びにやたら嬉しそうな上司達を見守る事にする。
おでこに走る痛みに苦笑していると、離れたレッドが満足げに口端を歪めた。
「うむ、良かろう」
ソファに戻ってもこちらを眺めて嬉しそうなのが、微笑ましい。
次に出てきたのは、幽鬼。
イワンの頭をそっと手で持って動かし、首を傾げる。
「・・・・・・・・此処にするかな」
「ん、っ」
後ろ頭のやや左の方に、軽い痛みが走る。
こんなに熱を入れてやられるのは初めてだし、主だってこんなに品定めして痕をつけたりはしない。
複雑だと思っていると、唇が離れる瞬間にちろりと舐められる。
「ゆ、幽鬼様」
「うん?まあ、いいだろう?」
眉根を下げて困った顔のイワンの赤らんだ頬を擽り、幽鬼は元の椅子に戻って行った。
それと入れ替わりで出たのは怒鬼だが、真剣に周りを4周されてちょっと緊張する。
どきどきしていると、彼は正面に戻ってきて力強く頷いた。
頭頂部から前方やや左の部分に慎重に唇をつけ、そっと吸い上げる。
「ん・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何とも満足げに頷いて頭を撫でられ、何だか複雑だ。
曖昧に微笑み返して、いつもの座布団に戻っていくのを見送る。
「目立ったところはかなり売れてしまったな」
笑うヒィッツに、苦笑を返す。
「私の頭なんて、知れていますから・・・・・」
「まあ、そうだな」
だがそれよりも、一定区画には彼の主以外の誰も入れないその心の方が。
自分が入る余地が無いと、知れている。
それに苦みを感じて自嘲気味に苦笑し、イワンの周りを時計回りに2周する。
首に近い一点にそっと唇を押し当てると、少し俯いて吸いやすくしてくれた。
くすっと笑うのが、切なくも愛らしくてたまらない。
少しだけ強めに吸い上げ、小さなリップ音を立てて離れる。
赤い花弁をこの指で辿っても、怯える仕草さえない。
「ふふっ、中々楽しいな」
今度は他の場所にもつけさせてくれと笑うと、頬を赤らめて首を振る。
冗談だとは言わずに頬を撫でて、そのままソファに戻った。
「かなり増えてきたのう」
掛る声に振り向きかけて気付き、そっと唇を笑ませて前を向く。
「少しくすぐったいです」
「まあ、頭部じゃからな」
ぽんぽんと撫でられて、別の意味でくすぐったい。
安心感のある大きな手は、主とは別の意味で好きだ。
大人しく撫でられていると、色々と頭を触って確かめていた指が、一点をなぞる。
「此処にするかの」
左耳に近い部分に押し当てられる唇。
ぴっと痛みが走り、僅かに熱い。
「うむ、色が白いから映えるな」
「カワラザキ様・・・・・」
困ったような顔で恥ずかしがる頭をもう一度撫ぜ、元の椅子に引っ込む。
削りかけの半分刀型になった割り箸を持ってにやと笑うと、イワンが頬を赤らめて笑い返してくれた。
すると突然耳の裏に触れられ、思わず背筋が伸びる。
が、差した影の形で直ぐに分かった。
「十常寺様?」
「是」
品定めするように右に左にと歩きまわり、やっと決めたのは右側頭部の耳の傍。
やや冷たい唇が押し当てられて、ぞくりとする。
「ん、っ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・是」
赤い痕を満足げに撫ぜて離れる横顔が、何だか妙に生き生きしていて。
少し面映ゆいような感覚を覚えながら、ちょっとだけ痛痒いそこを擦る。
そこに視線を感じて振り返ると、二歩ほど離れた所からじっと見ている魔王。
「意外と、鮮やかに痕がつくものだな」
「え・・・・?」
「所有の証と言うが、その甘い響きの割に」
痛々しい。
そっと首筋を辿られ、それが昨夜主につけられた部分だと気づく。
さっと染まった頬に、樊瑞が苦く笑った。
「求めてやまぬ高嶺の花、か」
額の斜め上に押し当てられる唇は、少しかさついていた。
何だか切なくて、どんな顔をして良いか分からない
痕を辿る指が優しくて、瞳もただ優しくて。
泣きそうだ。
その顎が掴まれ、別の方向を向かせられる。
アップになった主の整った顔、唇に暖かい感触がして、なのにじっと見つめている鋭い瞳。
ちゅっと小さな音を立てて離れた唇に、思わず自分の唇に手をやってしまう。
恥ずかしくて俯いていると、主はそのままソファに戻ってしまった。
が、それと入れ替わりに立ち上がる姿。
「展開的にやりにくいんだが」
困ったな、と言いつつやる気満々の残月に、苦笑してしまう。
何だか子供らしいと、微笑ましかった。
が。
「先程の時間に計算してみたのだが」
背後の壁にびっしり書きつけられた数式。
「お前のつむじの辺りを算出した結果」
白い手袋が投げ捨てられる。
「この辺りらしい」
ハンカチで唇を拭って、やる気満々の残月。
「旋毛と言うのは人によって異なり」
がっしりと固定される頭。
「多種多様なつぼが集まっている」
触れた唇が思ったより柔らかいと思った瞬間。
「っっっ!!!!!」
ぢゅーっと吸い上げられ、余りの痛みに悲鳴が出ない。
強固に吸いついた残月は、盟友組に寄って引き剥がされ、口許を拭っていた。
「うん、恐らくそこだ」
黒みがかった紫に早くも変色し始めているそこに、全員ドン引きだ。
残月だけがご機嫌で、手袋を拾ってはめなおしている。
「何か効果があると良いな」
嬉しそうに席に戻って行った残月に、イワンが溜息をつく。
そしてサロン備えつけの冷蔵庫に歩き、中からパックを取り出した。
「「「?」」」
馬刺し。
たまに食べたがる者がいるから色々と変わったものが揃っているが、何故それを。
と思ったら、頭に貼り始めてしまった。
セルバンテスが首を傾げると、イワンがきょとんとする。
「はい?」
「いや、何してるのかなって」
「ああ・・・・・・その、接吻の痕が熱いうちなら、これが一番効くんです」
キスマーク消しの裏技。
某娼館の娘に教えてもらった、大変便利な小技だ。
何故か、馬刺しを当てると消えるキスマーク。
身体が熱いうちが効果大、冷めてからでもやや効果ありの不思議なこれ。
頭に馬刺しを大量に張り付けたイワンを見つめ、黙る十傑。
流石にここでやるのは失礼だったかなと思ったイワンは、肩を叩かれてはっとした。
十傑の視線は自分でなく、やや左後方だと気づいたからだ。
そろそろと振り返ると、仮面だが爽やかな笑みが眩しい残月が皿を持っている。
「終わったら、ぜひ譲ってくれ」
「いや、これは・・・・・」
「大丈夫だ、それは洗濯物で無い」
馬刺しは、馬刺しだ。
そっちのほうがよっぽど不気味な事を言われて卒倒しかけたが、倒れたらこの馬刺しが彼の腹に入るのが確定する。
後ずさって駆けだしたイワンの後を、ゆっくり歩き始める残月。
「では、失礼するよ」
後日立った噂は、イワンが残月によって禿頭盛りを行われて逃げ惑っていたという、当たらずも優し過ぎる解釈だった。
***後書***
この小技は、本当に存在する。効果は体温体質によってまちまち。