【御主人様のお気に召すまま-027】
「・・・・・・ふむ」
残月は己の作り出した針を眺めた。
黒く美しい針は元々一本の白百合だった。
普段作るものに比べて些か細い針。
用途が殺傷でないからだ。
「付き合わせてすまないな」
「いえ、残月様なら安心です」
はんなりと微笑むイワンに、残月の頬も弛む。
白い背中に目を細め、残月はいつもの白い手袋をはめた手で触れた。
「素手では衝撃のに殴られかねんからな」
僅かに笑いを含んだ声でからかうと、イワンが困ったように笑った。
「アルベルト様は余り物事に執着される方ではないのですが・・・・・・・」
困惑を含んだ声音。
愛はねだるものではないが、愛されている事に戸惑うのもどうかと思う。
背中を丁寧に辿り、残月は針を持ち直した。
一度場所を確かめ、軽く打ち込む。
「痛まないか?」
「大丈夫です」
イワンに水銀体温計を渡す。
くわえて一分待って、目盛りを確かめた。
「37.6℃か。まぁ良かろう」
針は人の身体に影響を与える。
今残月は体温の調整が利く針を模索していた。
十傑やいつでもフル装備のイワンは問題ないのだが、突然雪山に行かねばならなくなったりすると普通に凍死者が出るのがBF団だ。
特に勝手気儘なレッドの部下は特に入れ代わりが激しい。
彼の下に配属が決まると皆この世の終わりを三回くらい経験したような顔をする。
十常寺も大概人気はない。
腹に一物ありそうだし、実験台にされそうだからだ。
樊瑞の所は手堅く安全だが、仕事量が半端無いため若干敬遠されている。
幽鬼は能力が能力だけに余り好まれない。
思考が筒抜けなのが嬉しい人間もいまい。
怒鬼は血風連がいるためエージェントはついていない。
カワラザキと残月は逆に人気だ。
常識ある態度の一言に尽きる。
ヒィッツカラルドは中堅である。
任務先での衝動買いの荷物持ち以外はまともだ。
しかし常識はずれに大量の荷物を抱えていると、悪の秘密結社に入った意義を自問自答して落ち込んでしまうらしい。
一番人気はセルバンテスである。
「悪者らしく立ち回れる」からだ。
動くのは破壊活動が多い。
彼は能力相応に大がかりな任務が多く、やりがいがあるのだ。
因みに配属になっても神経衰弱を起こす者が絶えなかったのはアルベルトである。
十年前にイワンが来る迄にどれだけの犠牲者を出したことか。
「この体温を維持したいが・・・・・・」
少しずらして打ち込む。
何度か繰り返して体温を測っていたが、六度目に打ち込んだ時、イワンの肩が僅かに揺れた。
「痛んだか?」
残月が問い掛けるが、イワンは答えなかった。
声を出せないくらいに痛かったのかと少し下を向いた顔を覗き込み、残月は首を傾げた。
「イワン?」
瞬きもしない瞳は何も映していない。
「こちらを向け」
状態を確かめようと言った言葉だが、イワンは緩慢に首を上げた。
まるで傀儡のような動き。
「・・・・・・・瞬きを」
ゆっくりと目を瞬かせる。
「私が、誰か分かるか?」
イワンは黒硝子のように澄んだ瞳で、ただ残月を見つめていた。
どうやら命令に従うだけの人形になってしまったらしい。
打ち込んだ場所が悪かったらしいが、試行だったので解除の仕方など分からない。
「・・・・・・困ったな」
サロンに連れて行った結果、反応は様々。
更に判明した事はイワンが反応するのは残月の言葉だけだという事だ。
「元々従順な質だが拍車が掛かっているな」
「拍車って・・・・・・」
それは不味かろうという顔をした幽鬼に、残月は苦く笑ってみせた。
「だから困っているのだよ。普段は常識と衝撃への操立てがあるが、今はそれが無い。人形ならば羞恥心も戸惑いも無いのだから、極端に言えば脱げと命じたとて・・・・・・・イワン?」
僅かに俯いていた顔を上げイワンが残月を見つめている。
そしてまた軽く俯くと、上着も脱がずにワイシャツの釦に手を掛けた。
ぷちりと釦が外れる音に、残月は我に返った。
「イワン、今のは命令ではないよ」
衝撃派を貰う前にイワンを止めたのは流石と言えよう。
だがこの男も十傑衆の一人であることを忘れてはいけない。
残月はソファに座りイワンに微笑んだ。
「膝においで」
・・・・・ギリギリだ。
許容範囲からは外れているが、プライドの高いアルベルトが人前で独占欲や執着を剥き出しにして止める事が出来ないギリギリ。
イワンは躊躇わずに、残月に向かい合った状態で膝に乗った。
残月とイワンの距離は僅か15センチ。
セルバンテスはちらと隣のソファの盟友を見てみた。
眉間の皺が普段の三割増しにはなっている。
「そんなに悔しいなら普段もう少し優しくしてあげればいいのに」
思わず呟くと、アルベルトがギロリと睨んでくる。
セルバンテスは肩を竦めてイワンに視線を戻した。
「残月、イワン君軽い?」
訊ねてみると、残月は少し考えて答えた。
「あぁ。まあ標準体重だろうが・・・・・イワンはデスクワーク組ではないからな。BF団に身を置くエージェントとしては些かウエイトが足りていない感はある」
残月の手がイワンの細腰を撫で上げる。
その歳に似合わぬいやらしい手つき。
十傑達は聴いた。
普通は聞こえる筈の無い・・・・・・堪忍袋の緒が切れる音というものを。
それもぷちっとか言う軽いものではない。
切れてはいけないものが切れるぶちんという音だ。
ヤバいと思った時にはもう、要領の良さに定評がある残月の姿はどこにもなく。
残った者達は、壁に大穴あけて八つ当たりイワンを引き摺りながら去っていくアルベルトを黙って見送ったのだった・・・・・。
「人形をどう扱ってもとやかく言われる謂われはないな」
イワンをベッドに突き飛ばし、アルベルトは上着を床に投げた。
本来なら残月に向かう怒りはイワンにまっしぐらだ。
アルベルトは手を出した者にも制裁を加えるが、出されたイワンにはもっと酷い罰を与えるのが常である。
従者に対して異常な程に狭容なのだ。
ベッドに突き倒されたままの姿勢で軽く俯いてじっとしているイワンのワイシャツを引き千切る。
バラバラと釦が散って転がった。
滑らかな肌に歯を立てながら服を全て奪い取る。
がりっと噛み付くと、薄らと甘い血が薫った。
鎖骨に、脇腹に、胸にと傷をつけ、血を舐め取り啜る。
意思が無いだけでイワンの身体は反応を示していた。
痛みに僅かに開いた唇が細かにわななき、目が潤んでいる。
なのに指さえも残月の命令なくしては動かせない彼は、シーツも掴めずに只身を震わせていた。
憐れで、愛らしい人形。
アルベルトはイワンの喉元に歯を立てた。
じわりと顎に力を込めると、呼吸を阻害された喉が奇妙な音をたてる。
緩めずに歯を滑らせると、皮膚が裂けるのが判った。
伝い落ちる血液を舌先で味わう。
不快な鉄の味が酷く甘美でいとおしく、腰に血が集まるのを感じた。
アルベルトは無惨な傷口に吸い付いて血を飲み込み、顔を上げた。
血に汚れた唇を舐め、嗤う。
「赤が似合うな」
目の前に横たわる供物に手を伸ばす。
右手をイワンの右肩に当て、爪を食い込ませた。
そのまま一気に左脇腹まで斜めに引き下ろす。
「!」
イワンの目に苦痛の色が閃いた。
引き裂かれた肌に血が広がる。
ぽたりとシーツに滴ったそれはじわりと染み込み、模様をつくる。
「貴様を所有する証だ」
アルベルトの指が、爪が、唇が、牙が、イワンを傷つける。
イワンの身体を血に染め上げて、アルベルトは喉の奥で笑った。
それは徐々に強くなり、肩が僅かにだが揺れる程になった。
痛みに小さく痙攣している血塗れの身体を眺め、アルベルトは自分の前髪を掴み乱して哂った。
あぁ、なんという恍惚感!
心と身体を己に捧げながら他の男に無防備な恋人に、自分の印を刻む行為の甘美な事よ!
装身具などというやわなものではない。
唇でつけた曖昧なものでもない。
牙と爪で皮と肉を抉ってつけた美しく苦痛を伴う【しるし】。
「貴様がワシの傍らに永久に仕える事を許してやろう・・・・・・・・・」
血にぬめる脚を力任せに掴んで上げさせる。
軋む関節の悲鳴を聴きながら、屹立した男根をあてがった。
堅く閉じた後孔に突き立てる。
イワンの身体が衝撃と激痛に引きつった。
薄く開いた唇から鋭く息を吸う音がする。
「苦痛も快楽もワシ以外から享ける事は許さん」
酷く裂けてしまった後孔に根元まで埋め込んで、アルベルトはイワンの首に指を絡めた。
指に力を込める。
呼吸を奪われ、イワンの唇が小さく開閉した。
アルベルトを受け入れた後孔が激しく締まる。
アルベルトは痛みを感じながら哄っていた。
身体の苦痛を精神の快楽が凌駕する。
もう少し・・・・・・もう少しでこの男は自分だけのものになる。
もはや誰も触れる事叶わず、口も利けず、見る事すら叶わず・・・・・。
その瞳が最後に映すのは紛れもなく己の歪んだ笑み・・・・・・。
イワンの中の男根が、快楽に熱く脈打った。
色を失った唇がわずかに動く。
「ぁ、ベル、様・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で、この始末?」
アルベルトは、医務室にて盟友の非難の眼差しを浴びていた。
イワンの目に映る己の狂人じみた笑みに我に返り、ぐったりしているイワンを医務室に連れて行ったのだ。
激痛がイワンの自我を呼び覚ましたのだが、出血は酷いもので、失血死しかけていた。
縫合ではとても間に合わないと言われ、アルベルトは十常寺の手を借りた。
心配したセルバンテスが一緒に来たのだが、イワンのズタズタになった身体に、セルバンテスは眉をひそめた。
責める視線に、アルベルトは舌打ちして葉巻の吸い口を噛んだ。
「・・・・・・・・悪かったとは、思っている」
「・・・・・・・・愛し方をあらためたまえよ・・・・・」
セルバンテスの言葉に、アルベルトは苦々しげに吐き捨てた。
「自制が利かんのだ」
「・・・・・アルベルト」
セルバンテスは溜息を吐いて笑った。
「君は物事に執着しない質だからねぇ・・・・。初めてそれほど迄に・・・・・・狂おしく欲する存在ができて加減が出来ないんだろう。
・・・・・・それは悪い事ではないよ。・・・・けれど・・・・けれどね」
喪ってからでは、遅いんだよ?
アルベルトはベッドに横たわっているイワンを見つめた。
自分の心を掻き乱す、たった一人の存在。
どんなに貪っても餓えも渇きも尽きぬいとおしさ。
殺せば自分だけのものだ。
だがそれがどんなにか虚しい時間の始まり。
どちらが幸せなのか、今は答えがでなかった。
***後書***
ギャグの筈がシリアス。
SMではないしエロも中途半端。
暴走する狂気の愛を書きたかったのに見事な失敗。