【御主人様のお気に召すまま-045】
「セルバンテスも老けたな」
薬で18歳の体に戻ったアルベルトが面白そうに言う。
記憶も退行しており、正真正銘身も心も18歳だ。
任務は問題ない。
僅かばかり過加熱気味だが、基本的に短慮な事はしなかった。
衝撃派を放ち楽しげな様子を見せる主に、イワン小さく微笑んだ。
今は某国で大規模な破壊活動中だ。
ほんの僅かとはいえ、浅慮さを垣間見せる気分の移ろい激しい青年に手を焼いた半瑞がイワンをつけた。
主の気質も性格も把握し、基本的には従順なイワンが何とか御している。
「お疲れ様です」
あたたかな濡れタオルを渡しながら、イワンは目の端で宵闇に沈み始めた景色を眺めた。
「今夜もお出掛けになりますか?」
昂ぶる気を静めるために。
私を忘れた貴方は、私に送らせ、知らない女性をその腕に抱く。
香水と白粉と僅かな情事の残り香を身に纏い、私に現実を噛み締めさせる。
本当ならこうあるべきが自然なのだと思い知る。
若い主に何も真実は告げずに、イワンはどうなさいますか、と首を傾げた。
何でもないように僅かに微笑んで、主に問う。
「ああ、そうだな」
貴方が幸せならとただ黙って傷ついていく優しい恋人を、アルベルトは知らない。
涙は零れない。
それどころか心を痛めながら感じるのは幸福感。
あの方が惑わないで歩いてゆける。
相手は選んで欲しいが、子を為す事も出来よう。
サニーを可愛がってくれる人がいい。
その家族に自分は仕える事となろう。
全てを失った自分には、もう手に入る事の無いその幸福。
微睡みのような幸せな時間を与えられただけでいい。
愛された思い出を抱いて。
眼前の残酷な家族の肖像に、誠心誠意仕えよう。
車の中で一人主を待ちながら、イワンは泣きそうな顔で微笑んでいた。
「あれ?」
夜半に盟友を訪ねたセルバンテスは、屋敷の門の前に佇む影に首を傾げた。
「どうしたの?」
コートも着ず、イワンは凍える冬の夜の寒さに頬を僅かに赤くして困ったように笑んだ。
「セルバンテス様ならお会いになるかも知れませんが・・・・・」
イワンに伴われて盟友の部屋に行き、セルバンテスは絶句した。
脱ぎ散らかされた衣服が床に散乱し、上半身裸で前を緩めた盟友の膝の上には半裸の女。
「どこに行っていた」
「申し訳ありません」
困ったように微笑むイワンに、女が酒を求めた。
何も言わずに準備するその姿に、セルバンテスの頭に血が上る。
残虐な仕打ちをしたとは微塵も思っていない盟友に、怒りを滲ませ薄く笑む。
この寒空の下に僅かな逃避を求めた彼を連れ戻してしまった自分を悔やみながら。
「・・・・・今日は帰るよ。でも暇でね。イワン君を借りるから」
盟友のただならぬ雰囲気に、アルベルトが口を開きかけた。
それに背を向ける。
「楽しい夜を過ごすといい」
屋敷に連れて帰ったイワンは至って普通だった。
否、そう見えるように振る舞っているだけだ。
端々に限界を超えた無理が表れている。
「お湯が入ったからあたたまっておいで」
戸惑うイワンを浴室に押し込む。
セルバンテスは唇を噛み締めた。
どうして、どうして、どうして!
何も言わない、怒らない、泣かない!
君は人形ではないんだ。
意志を持った人間なんだ。
詰る権利があるんだ!
煮えるはらわた。
スコッチのグラスを取りかけてやめた。
水差しから水を注いで口を付ける。
「あ、あの、有り難うございました」
遠慮深い彼は形だけ入って直ぐに出てきてしまった。
きっと浴室もある程度片付けて出たのだろう。
肌は未だ冷たそうな色で。
「セルバンテス様・・・・・?」
「まだ冷たいね」
頬をなぞり、親指で擦る。
何でもないように微笑んで見せるのが切ない。
「あたためてあげようか・・・・・」
抱き締め、頬を唇で辿る。
柔らかい頬は女性のように融け崩れそうな訳ではなく、だが甘く芳しく。
そっと唇を食むと、目を伏せた。
薄く開いた唇。
疲れ切ったこの人が選ぶのは怒りでなく諦め。
総てを拒み泣き叫ぶのではなく、受け入れ諦め、暗い海をたゆたうように身を任せ。
求めず、受け入れる仕草の唇を甘く吸う。
ぽてりと濡れ色付いた唇。
下唇と上唇を交互に吸って愛撫した。
「ん・・・・・・」
蕩けた瞳。
一途な彼が総てを投げてしまうまでにどれだけ傷ついたのだろう。
抱き上げ、寝台に下ろす。
スプリングが軋む音は軽い。
「脱がせるからね」
頷きもしない彼は茫然と言うより放心していて。
釦を外して晒した肌に唇を落とす。
「ん・・・・・・・・っ」
時折吸い上げてやると、鼻に掛かった声が耳を擽る。
左最下の肋骨を下から胸中心に向かって舌で辿ると、びく、と震えた。
「ぅん・・・・・・」
切なげな色の瞳、僅か寄った眉。
淡い尖りに吸い付くと、吐息を震わせる。
堪えた声に、微笑みかける。
「我慢しないで。聴かせておくれよ」
濡れ羽色の瞳は僅かな熱を含んで尚空虚で。
肌を暖めるように柔く撫でさすり、不安を取り除くように口づける。
身体は中々あたたまらなかった。
だが根気強い愛撫で熱を孕み始める。
「ふ・・・・ぁ・・・・・・」
自然な動きで服を奪い去る。
背後に放り、覆いかぶさった。
「イワン君」
姿を捉えながら何も見ていない瞳を閉じさせる。
「忘れて、溺れて」
緩く立ち上がっている雄を軽く扱く。
くねる肢体を咎めず、追うようにして甘く追い立てた。
「はぁ・・・・・ぁ・・・・・・・」
濡れる雄を扱きながら、口づける。
舌を絡ませて、手を止めた。
蜜の絡んだ指で、奥を探る。
「ん・・・・・・」
クチュ、と差し入れると、絡み付いてくる。
男に慣らされた身体。
自然には有り得ない習慣的な動き。
「はっぁ・・・・・・・・」
奥に差し入れ、掻き回す。
柔らかい中を探り、入り口がやわらぐと軽く抜き差しする。
「んっ、ん」
甘い息遣いが耳を擽る。
口づけようとした時に、ポケットで振動する携帯。
セルバンテスはそれを開いてぽいとベッドに放った。
「表の付き合いだよ。今は関係ない」
気にし始めるのを阻むように、指で愛撫する。
抑え気味だが甘い吐息。
聞いているんだろうね。
でも君が手を放すんなら私が貰い受けるよ。
大いなる獣の眼が、通話中表示の携帯画面を見て、細まった。
いくら女を抱いても癒えぬ渇き。
募るのは訳の分からぬ焦燥。
耳にこびりついて離れない、切なくも甘い喘ぎ。
女のそれとは違う密やかで淫らさを含んだそれ。
盟友は男色の気は無かった筈だ。
自分も当然無い。
だが双方固執しているのはどこかで感じ取っている。
一人の普遍的な男をめぐり。
あの男はどちらを選ぶのか。
主か、その盟友か。
否、選ばせる必要は無い。
選ぶのは自分だ。
アルベルトは携帯を開いた。
2コールで出た従者に言い放つ。
「30分以内に来い」
従者が顔を見せたのは20分後だった。
「服を脱いでベッドに上がれ」
顔が強張る。
瞳に拒否の色が浮かぶ。
それが酷く癇に触った。
盟友に自分が劣ると言うのか。
睨み付けて顎をしゃくると、哀しげな諦めの瞳が伏せられる。
釦を外す白い指。
白い肢体は伸びやかで綺麗だった。
ベッドに上がり俯いて座るのを眺め、椅子から立つ。
「顔を上げろ」
顎を掴んで上向かせる。
「・・・・・目を開け」
軽く、しかしきっちり閉じられた瞼。
従順な男が、初めて拒絶した。
「・・・・・・見たくありません」
目の前が赤く染まる。
怒り、嫉妬、独占欲。
混ざり合うそれらはもはや収拾などつかない。
アルベルトはイワンを突き倒して乗り上げた。
「目を開けろ」
「お断りいたします」
間髪入れずに破裂音が響く。
横面を張り飛ばした主に従者は何も言わない。
そうされると予想は付いていた。
切れた口端から血が伝い口に入った。
腕を掴み捻り上げる。
軋む腕はあと少しで折れる。
痛みは相当なはずだが、従者は黙って目を閉じていた。
アルベルトは奥歯を噛み締めて怒りに身を焼きながら、笑った。
そちらがそういう態度ならこちらも考えがある。
アルベルトは指を軽く舐め濡らし、従者の後孔を探った。
指を入れて、内心驚く。
絡み付く肉襞。
女のそこを使ってセックスを楽しんだことはある。
だが膣のように筋肉が無いそこはただぬめる管が包み込むだけでそう快楽は強くない。
しかし、今指に感じる肉管の淫らな動きは思わず唾を飲む程に悦い。
否応なく高まる期待。
重く疼く腰。
急性に解し慣らす動きに、辛そうに眉が寄る。
アルベルトは、震えながらシーツを掴む従者の顎を掴んだ。
口づける。
冷たい口づけだった。
諦めの味に苛つく。
「・・・・・・・・・・」
「何をされるか予想はつくらしいな」
脚を上げさせられても驚かない。
押し当てると息を吐く。
若さに任せて突き入れると、白い背が綺麗に反った。
眉間の皺は深く、慣れていても苦痛はあるらしい。
腰を揺らすと息を詰める。
声を堪えているのだと気付き、アルベルトはイワンの脚を大きく開かせた。
片方は肩に掛け、あいた手で口を塞ぐ。
「男の喘ぎ声など願い下げだ」
本当は聴きたい。
電話越しだったあれを、直に。
だが自尊心の強いアルベルトがそんな事を言う筈もなく。
まるで玩具で遊ぶように、抱いた。
好きに快楽を追って腰を使う。
突き上げる場所によって痛みと快楽が違うらしく、締め付けが変わる。
「っはは、男に犯され興奮しているのか。仕込まれたのか天性かは知らんが哀れなものだ」
前立腺を突かずに入り口をいびって立たせ、馬鹿にする。
それでも黙って目を閉じる従者。
何度犯しても。
その目は開かれはしなかった。
「・・・・・殴られたのか?」
ヒィッツに訊ねられ、イワンは頷いた。
困ったように微笑んで。
紫になった右の口端。
痛々しいと思いながら親指でなぞると、イワンの顔色が急激に悪くなる。
「すみませ・・・・・・」
口元を抑えて、サロンにある簡易の流しに走る。
水を流した瞬間、吐き戻した。
余程の扱いを受けたのだろうと予想がつく。
十傑それぞれがぴりぴりした空気を纏った。
だが機嫌悪く葉巻を齧るアルベルトに文句を言う前に、残月がイワンを叱咤した。
己の喉に指を突っ込み吐き戻し続けるイワンを諫めようと。
だがもはや聞こえていなかった。
水を飲み、指を使って吐き戻し、また水を飲み。
異様な姿に誰も動けない。
イワンは暫らくそうしたあと、さも不思議そうに指を見つめて呟いた。
「出てこない・・・・・・」
下から注がれたものを口から吐こうとしていたのだ。
どう考えても無理な事が理解できていない。
「もう少し・・・・・・・」
唇を這う指。
セルバンテスが近づいて拘束する。
「放して・・・・おなか痛い・・・・・まだ、中に・・・・・・」
「イワン君、無理に戻している限りおなかはずっと痛いんだ」
「・・・・・・・・・?」
抱き締めても抵抗しないのが悲しくて。
うわごとのように「おなか痛い」と繰り返すのが可哀想で。
セルバンテスはイワンの身体をクフィーヤで包んだ。
「・・・・・君にイワン君を傍に置く資格はない」
盟友を見る瞳はどこまでも冷たく。
「貴様の許可など必要ない」
盟友を見る瞳はどこまでも暗く。
一触即発の空気に皆身がまえる。
唐突に、イワンが叫んだ。
「おやめくださいっ!」
激昂した声。
だが続いたのは擦れた悲しい問い掛けだった。
「どうして仲違いをなさるのですか・・・・・」
黒い瞳から流れ落ちる涙。
「私は総て失ったのです。もう戻らないと知っています。アルベルト様が失くされた奥様は返りません。ならばせめて」
ご自分とご友人は、大事になさってください。
血を吐くような懇願。
自分の事ではなく争う二人の為に涙を流す優しい男に、我に返る。
「・・・・・・・・・」
謝るような仲でもない。
黙って攻撃態勢を解除し、二人は互いにそっぽを向いた。
「イワン君今日も可愛いねぇ」
「ひゃっ」
尻を撫でられて飛び上がったイワンにけらけら笑って、セルバンテスは葉巻をふかす盟友を見た。
葉巻の似合う38歳の渋い男に戻っている彼に、意地悪く笑う。
「良かったねぇ?捨てられなくて」
うぐ、と詰まる盟友も多少なり自覚はあるらしい。
「謝った?」
「いや」
「愛してるって言ってあげた?」
「・・・・・・いや」
とことん口下手で自尊心が空より高い盟友にふふん、と笑う。
「早く捨てられてしまいたまえ」
イワン君、大好きだよ。
そう言って従者に構い始めた盟友に、頭を痛めるアルベルトだった。
***後書***
邪眼の事大いなる獣の眼って言います。
おじさんは本番はしていないです。指、指だけ(黙れ)