【 御主人様のお気に召すまま-057 】



「振られ気分はどうだい?」

爽やかに嫌味を言ったつもりの盟友に、アルベルトは眉をひそめて葉巻をくゆらせた。


「・・・・・・?」

「今日は嫌って言われたんだろう?」

「いいや?」


言われておらん。

後で部屋に来るよう言ってある。

部屋に来るよう命じる事が出来るのが特権と言う認識の薄い暴君に、嫉みの視線が九つ突き刺さる。

幻惑が頬に青筋浮かべながら頭を振った。


「イワン君はね、今日健診」


頭の天辺から足の先、お腹の中まで「整備中」。

薬をたっぷり付けてもらってるから、二、三日出来ないの。

ふふん、とネタバレさせ、セルバンテスはもう既にサロン常備品になりつつあるスクリーンを引いた。


「はっはっは!イワン君が行きたくないなって思っている姿を存分に味わうがいいよ!」


幾つ仕掛けたのかはこの際聞くまい。

もはや死角の無いイワンの部屋。

イワンは書類を片付けていた。

健診の書類をファイルに挟み整理する。

時計を見て、困ったように笑んだ。


「準備しないといけないな・・・・・・」


バスルームに向かう姿。

カメラ視点が切り替わる。

ワイシャツを脱ぎ落とし、内腕の注射痕から血止めを剥ぎ、ごみ箱に捨てる。


「問題なさそうだな・・・・・・」


傷口を確認して、少し押さえる。

完全に塞がっている事を確認して、イワンは浴室に入った。

ちなみに現時点で十傑はスクリーン前に移動してガン見である。

伝い落ちる温かい水を弾く白い肌。

暫くそれに身を任せて打たれていたが、不意に。

下に下がる、手。


「「「おおぉっ!?」」」


ぐびびっと唾を呑んだ期待に添って、淡い色の窄まりを押し開く指。


「んっ・・・・・」


頬を僅かに染め、吐息を震わせ。

淡い孔に食い込む白い指。


「んくっ」


とろ、と溶けた薬膏が溢れた。

掻き出すでもなく、塗り込めるでもなく、欲を慰さめるでもない。

ただ、やわく解していく。


「ん・・・・っ」


ちゅぽ、と引き抜き、イワンはシャワーを壁から外して手に取った。

ゆっくりと後孔に押し当てる。


「っあは!」


流れ込む湯に苦しむ姿。

何故とは言わない。

ひとえに主の望むよう身体を捧げるために。

薬液を、流そうと。


「ぅう、っ」


荒い息を吐き、身を烈しく震わせ、根の合わぬ歯を食い縛り。


「っふ、ふぅっ」


膨れていく腹。

青白くなり冷や汗の浮いた肌。


「っあ」


苦しさに耐え切れず、壁に手を着き崩れ落ちた。


「はぁっ、はっ」


激しく蠢く後孔は緊張に赤らんでいる。

反射的に中身を漏らすまいと締まるそこをゆっくり揉む指。


「ふっ、ふぅっ・・・・」


ぷしゅっと時折噴き出す湯は薬液で若干とろみが加わって排出しにくさに拍車がかかっている。


「っあ、あ、っああぁっ!」


湯より余程熱そうな涙をとめどなく流し、拷問を受けるような血の叫びを浴室に響かせながら。

己の中を強制洗浄する。

余りに可哀想な。

余りにいじらしい。

余りに可愛い姿。

流石の十傑もこの忠犬っぷりには唖然とした。


「んっ・・・・・・」


身体を流してふらつきながら浴室を出るイワン。

扉を開ける。

伸びてきた黒いスーツを纏った腕がそれを抱き留めた。


「えっ・・・・あ、アル」


最後に残っていたカメラは衝撃派で木っ端微塵になり、スクリーンは砂嵐になった。


「今の今迄・・・・イワン君の悲鳴に不機嫌そうにしてたよね?」


いつの間に行ったんだか。





「・・・・アルベルト様?」

すり、と胸に額を擦り付けられ、イワンはやわく戸惑いの笑みを浮かべて首を傾げた。


「・・・・・・・・・」


自分の行動を主が知っているなど夢にも思わない従者は、ただ嬉しげに淡い笑みを浮かべ、そっと主の頭を抱いた。

葉巻の香りの染み付いた固めの黒髪を大事そうに髪を梳く。


「・・・・・・・」

「・・・・・・・?」


少し機嫌を損ねたような・・・・拗ねるような、不貞腐れるような雰囲気に首を傾げながら、子供のように額を押し当てる主を慈しむ。

大好きな主を腕に抱けてとても嬉しい。

いつも与えてもらう幸福を少しでも返したくて、旋毛にそっと唇を押し当てた。


「アルベルト様」


愛情のたっぷり詰まった甘い声で呟くように言われ、アルベルトは顔を上げた。

イワンの胸に顎を付けて目を合わせる。


「・・・・・・・・・」


手を伸ばし、まなじりを親指で擦る。

瑞々しい張り。

指の甲で左目の傷跡を辿ると、擽ったそうに笑った。


「どうされたのですか?」


少し、しおらしいようにお見受けします。

過ぎた献身に不快は感じない。

もちろん嬉しい。

だが、焦る。

そんなに愛してくれるお前に何も返せてはいないのだ。

返って来ない想いに愛想を尽かされてしまいはしないか。

少し控えて、不器用な自分に合わせてくれ。

でないとお前を失ってしまう。


「・・・・・・アルベルト様」


伝わったのではないだろう。

ただ、タイミングが重なっただけ。

同じ事を考えていただけ。


「心を捧げることをお許しください」


返って来ることは求めていない。

言葉など殆ど与えられさえしない。

だからどうか、捧げ続けることを許して。


「貴様はそれで」


良いのか。

どこかで、はいと頷くと。

慢心していた。

確かに恋人は頷いた。

捧げ続けて麻痺し始めている心は、それが悲しいと感じられなくなっていた。


「靴に」


好きな人に新しい靴に気づいてほしい時。

何度も履きます。

気づく様子がなければまた新しい靴を。

毎日毎日、新しい靴を。

そうしていればいつか。


「明日はどんな靴にしようかと考えるようになるのです」


愕然とした。

明日は、どうやって喜ばせよう。

明日は、どうやって楽しませよう。

明日は、どうやって愛を捧げよう。

どんなにかつらい愛を強いている事に気づかされる。


「っイワ」

「アルベルト様」


幸せそうに笑んで髪を掻き混ぜるひと。

抱き締めたいのに、身体が動かない。


「イワン・・・・・」


今一度顔を胸に埋め、乾き切った唇を舐め。

言おうとした。

それを、上向かせる手。

切なく微笑して、従者はそっと首を振った。


「その言葉は私などにお与えになるべきではありません」


奥方様にだけ、仰って下さい。

私は貴方様が亡き奥方様を想われるお顔がとても好きです。

どんなにか悲しく残酷な愛に身を沈めていく恋人を、強く強く掻き抱いた。

望まれぬ言葉を押しつけても。

傷つけるだけと分かっていたから。

だからせめて。


「貴様は」


残るな、追え。

先には逝くな。


「傍にいろ・・・・・・」





***後書***

本番無いのに書き終わって気付いた。

別名残酷な愛シリーズって言える御主人シリーズ。

イワンさん回重ねるごとに怖い壊れ方してきてるよね?