【 御主人様のお気に召すまま-074 】



「イワン君、おいで」

笑顔で手招くセルバンテスに、イワンは嬉しそうに駆け寄った。

今の彼は子供どころか犬くらいの精神になってしまっている。

水も一人で飲めないから口移しだし、食事に興味がなく遊び始めてしまう。

やんわり言い聞かせると、食べなければいけないらしいとは理解する。

つまらなそうに皿に口をつけ、犬食いでも派手に汚さない大人しさ。

だが、そう食べない内に無理が来て嫌がるから、ひと匙ひと匙入れてやらないといけない。

それ自体は全く構わないが、ひと匙ごとに「もういいでしょう?」と見上げてくるのが可哀想だ。

だがやんわり首を振ると、諦めてもうひと匙。

服も一人で着れないし、風呂に入れたら閉じ込められたと思って大暴れした。

しかも置いてあった剃刀を落として足を切ってしまった。

浴室で肌を晒したまま怯えきって身を丸め、足を血で汚し。

直ぐに手当てをしたが、それからはさらにおとなしくなってしまった。

食事も我慢して飲み込み、足を引きずって傍に来る。

膝に頭を乗せている時は安定しているが、それ以外はすっかり怯えきっていた。

おいで、と言うととても嬉しそうに寄ってくる。

傍にいるのが一番安心するのだろう。


「大丈夫だよ。もうね、酷い事はされないから」

「・・・・・・・・・・」


じっと見上げてくる瞳の中に映るのは自分だけだ。


「イワン君、大好きだよ」


呪文のように呪いを擦り込み、セルバンテスは無邪気そうに笑って見せた。





アルベルトは自室で一人酒を飲んでいた。

アルコール度数は低い。

恋人を失ったのを忘れたい。

忘れたいが、酔って殺しに行かぬように。

戻ってくるのではないかなんて浅はかにも考えているから。

外を見やると、白い雪が積もっていた。

ぼんやりと白い指を思い出しながら、アルベルトはグラスを投げ捨て、組んだ手に額を乗せた。





あのひとは、どこにいってしまったんだろう。

セルバンテスに遊んで貰いながら、イワンはぼんやり考えていた。

あのひと、引っ掻いてしまった。

噛み付いたら、赤いのが出ていた。

この前閉じ込められて暴れて、足が痛かった時も赤いのが出た。

あのひとも、痛かったのかな。

謝らないと、いけないかな。

謝らないと、怒ってしまうかな。

怒って、きらいになってしまうかな。

イワンはあの人の事、好きなのに。

好きなのに?

なんで?

何で好きなの?

あの人追いかけてきて腕を掴んだから引っ掻いたのに。

怖かったのに。

逃げたかったのに。

会いたい。

ううん、あのひとを一目見たい。


「イワン君?どうしたの?」


手が止まったイワンに手を伸ばす。

触れても反応は無かった。

その目に映るものはもう己ではない。

今捕まえる事は簡単だ。

だが、そんな脆い計画では駄目だ。

弁えている男は、退く事にした。


「アルベルトの所に行こうか」





少し眠っていたらしい。

愛らしく微笑んだ顔のままに「大嫌い」と言われた瞬間目が覚めた。

背を伝う嫌な汗に、着替えるかと顔を上げ。

そこに、座り込む姿。

顔は笑っていない。

じっと見つめている。

その唇が今にも「大嫌い」と紡ぎそうで。

久し振りに、恐怖を感じた。

白い手が伸ばされ、頬に触れる。


「・・・・・・・・・・・ぃ」


ごめんなさい、と聞こえた。

見つめていると、脚を指差す。

包帯が巻かれているが開いているらしく血が滲んでいた。


「ぁ・・・かい、の」

「・・・・・・・・」

「あか、いの、は・・・・い、たい」


指が、己の身体を指差す。

それは、引っ掻かれたり噛まれたりした箇所。


「ま、だ・・・・ぃた、い・・・・?」

「・・・・・ああ」


お前が、帰って来ぬから。

ここが、痛い。

心臓の上に手を置かせると、イワンはそこに耳をつけた。


「ぅごい、て、る」

「・・・・そうだな」


イワンの腕が、アルベルトをそっと抱いた。

息が止まる。

何故、抱くのだ。

もうその心に己の居場所は無いのだろう?


「・・・・・・」

「・・・・・・」


言葉もかわさずに、口づけを交わす。

甘い唾液は慣れ親しんでなお恋しい。


「イワン・・・・・・」


名を呼ぶと、目を瞬かせた。

頬を撫ぜ、何度も夢中で口づける。

貪るように唇を吸い、唾液を奪い取って飲み込む。

かくんと力が抜けたのに慌てて唇を離す。

薄く開いた唇に息を吹き込むと、数回で軽く咳き込んだ。

薄らと開く瞳。


「アル、ベルト、様・・・・?」


弱々しい微笑みは、恋人のものに他ならない。

アルベルトは、イワンを強く掻き抱いた。





「いつでも貴方に夢中、かぁ」

羨ましいねぇ、と笑い、男は一人自室でグラスの水を煽った。

グラスを壁に叩きつけ、欲しがりの衝動に震える手を宥める。


「まだ、まだだよ・・・・・」


今はまだ、いつか必ず。


「ねぇ・・・・・イワン君・・・・」





***後書***

悩んだけど【掃除機】と【アル様の恐怖と幻惑の狂気】を分けたかっ・・・・掃除機って言葉入ると途端間抜けになるな。