【 御主人様のお気に召すまま-082 】
「これ・・・・駄目、かな・・・・?」
「ざ、残念ですが・・・・これは・・・・・」
イワンとセルバンテスの視線の先には、膨らまずカチカチに焼け、カリカリになった『作者称マカロン』
「ええと、その・・・・・」
「いやいやいや、みなまで言わなくっていいよ」
苦笑する顔は明るいが、少し寂しそうだ。
5時間奮闘して『これ』では肩を落としもしようが。
「何でかなぁ・・・・」
「何度かやれば上達なさいますよ」
柔く笑って片づけてくれているイワンに、セルバンテスは軽い溜息をついた。
片づけを任せては本末転倒だから手伝いたいが、断られると知っている。
君に、食べて欲しかった。
買ってきたんじゃなく、自分で作ったものを。
君に、食べて欲しかったんだ。
「セルバンテス様」
洗い物が終わってそれを拭き始める人は、優しく慰めてくれた。
貴方様はやればできる御方ですから、そう気を落とさないでください。
母親の様だが、もっともっと、柔く温かく。
祖母、姉・・・・いや違う。
限定して定められないが、心地好いぬくもり。
せめてこれくらいはと作業台を拭いていると、小さく硬い音がした。
振り返ると、イワンの口からこりこり音がしている。
手には、一口かじったマカロン・・・・と言う名のダークマター。
「イワン君、無理して食べなくても・・・・」
おなか痛くなっちゃうよ、と言う言葉は出なかった。
くすくす笑う顔があんまり可愛くて。
「歯触りは兎も角、味はそう悪くありませんし」
セルバンテス様のお気持ちを、一口も食べずに捨ててしまうなんて、もったいなくて。
愛らしい笑顔が嬉しくて、泣きそうになってしまう。
だから、思い切り笑顔で、抱きしめた。
「素晴らしき」
「あぁ、行け。B点に白昼が来ている筈だ」
息を弾ませつつ、視線を交わして頷く。
指を組んで構えたヒィッツに場を任せ、セルバンテスは走り出した。
暫くそうしていると、後方から近づくバイクの音。
改造済みだからすぐわかる。
「セルバンテス様!」
速度も緩めずに投げられたケースをキャッチして、やや右に向かって走る。
十傑ならバイクと同程度の速度で走る事は出来る。
火花を散らせながらバイクを反転させて迎撃に移った人を一瞬見て、セルバンテスは前を向いた。
B点で残月にケースを渡し、セルバンテスはすぐに引き返した。
ヒィッツとは途中擦れ違った。
来ていないのは、イワンだ。
ヒィッツに現場指揮を任せ、セルバンテスはイワンを探した。
ヒィッツがそれを受けたのは、セルバンテスが探すならばと言う保証の下だ。
自分が行きたいとごねて時間を取る危険性を理解している。
焼跡を歩き回って探す。
死んではいないという根拠のない確信。
だってあの人は置いて行かれる辛さを知っている。
私達を置いては行かない。
「・・・・・・さ、ま・・・・」
「!」
耳に届いた掠れた声に振り返る。
「・・・・ごめん、もう一度、呼んで」
苦しそうなのは分かっているが、特定は出来なかった。
もう一度掠れた声が自分の名を呼ぶ。
側の焼けとたんを捲って回ると、4枚目で探していた人がいた。
「大丈夫かい」
「ええ・・・・・」
慌てて不安を煽らぬよう、軽く笑って抱き起こす。
抱き起こされる彼も、自分に心配させぬよう微笑んでくれていた。
脚を敷きこんだ柱は、微妙に隙間が開いていたために引っかかっても潰しはしていなかった。
「動かないでね」
「お前もな」
後ろからかかる声を気にせず、セルバンテスは柱を退けた。
イワンもセルバンテスの実力を知っているから慌てない。
増える人影の中、セルバンテスがイワンを抱き上げた。
「掴まっててね」
走り抜ける速さは人外だ。
流れる景色を見る事もせず、イワンはセルバンテスの胸に顔を埋めていた。
首に回った腕は力なく、かなり疲弊しているとみていいだろう。
B級でいながら十傑の任務につき従うのはかなり酷だ。
「もう少し、我慢してくれるかい」
安全な場所にイワンを降ろす。
背後では悲鳴が上がっている。
ヒィッツカラルドが遊んでいるのだろう。
「・・・・大丈夫?」
声をかけると、腕が解かれて身体が離れた。
イワンは頷いたが、セルバンテスの頬に走る赤い線を見て、目を瞬かせた。
「イワン君?」
黒い瞳が泣きそうに歪む。
白い指に辿られて走った痛みで、漸く自分が頬に怪我をしている事に気付いた。
「大丈夫だよ、このくら・・・・」
心が竦むような悲哀に染まる瞳。
はっとするほど慈愛に満ちた優しい微笑み。
泣きそうな目と柔らかい微笑を湛えた唇が織りなす不思議なそれ。
初めて会った時に心奪われたそれより魅力を増すそれに、笑い返す事すら出来なくて。
ただ、ただ黙って。
そっとそっと、口づけた。
自分には勿体ない、甘い甘い、唇。
***後書***
うちの幻惑おじさんは料理が出来ない。