【 御主人様のお気に召すまま-087 】



「私だよ」

「いや、私だろう」

「・・・・・私か」

「儂だ」

小声で言いあう十傑がイワンの部屋の窓枠下のパイプにたむろっている。

何故ここなのかと言えば、レッドが4日前にイワン編み物中の情報を持ってきたからだ。

そして彼自身はそのまま任務へと旅立って行った。

・・・・相当ごねたが。

かくしてみな暇さえあればここにたむろい、口々に「自分の為のマフラーだ!」と言いあっているわけである。

当然だとどっしり構える筈のアルベルトは、些か不機嫌そうにしながらここに居る。

嫌なら帰ればと言うのだが、強情に帰らない。

第一毎年黒の手編みマフラーを貰っている癖に、まだ欲しいのか。

そう思ったが、単に他の男にやるのが嫌なのかもしれない。


「イワン君が編んでくれたんなら多少色に難有りでも構わないし」

「と言うか何故あの色を選んだんだ」

「相当目立つぞ」


ひそひそ言いつつ中を覗く。

イワンはとても優しげに微笑んで編み棒を動かしていた。

時折修正をかぎ針で行い、場合によっては指編みをし。

細めの滑らかな毛糸はけば立たず、少し厚手の布のようですらある美しい出来だ。

柔らかい光沢でソファに蟠る部分は長め。

手にかかる部分はもう終わりの方なのだろう。

手際よく、作業は早く。

しかしとても丁寧な仕事だ。

急がねばと言うわけでもなさそうに、しかし夢中に。

澱まず動く白い指が目を引いた。

毛糸を軽く引いて、編み続ける。

フリンジをつける気はないようで、裾の始末は細かい。

きっちりと角を持ち、ほつれもだまもなく、まるで機械で編んだように正確だ。

しかし、それとは絶対に違う暖かみ。

到底かなわぬ愛情を含んでいるのが分かる。


「あの人が、無事に帰って来られますように」


紡がれた一言は、祈りだった。

子を、想い人を、戦地に送りだす母の、乙女の様に。

祈るようにそれに口づけて、彼は余った糸を切った。

それを畳んで、テーブルに置く。

周りを片付けて時計を見た。


「なぁんだぁ・・・・」

「詰まらんな」

「面白くない」


言いながら、そう雰囲気は悪くない。

何となく、納得してしまったから。

第一、あんな色ここの誰にも似合わない。





「あ、あの」

「・・・・触れるな」

殺気じみた気配を当ててくるレッドに、イワンは曖昧に微笑んだ。

任務明けで、血まみれのレッド。

飛空艇の中で着替えすらしなかったらしい。

もしかしたらエージェントも何人か殺されているかもしれない。

イワンは踵を返した。

レッドは黙ってその後ろ姿を睨んでいた。

ちらと自身の手を見れば、乾いた血液がこびりついている。

乾いていないのは未だ疼く脇腹だけだ。


「・・・・・・・・・」


これが普通だ。

忍は道具だ。

私は武器だ。

人間であった事も、人間として扱われる事も無かった。

修業と言って苛烈な訓練を受け、食事と言う名の餌を与えられ。

水すら身体を慣らすための毒を含み。

誰と口を利くでもなく。

笑うのは殺戮と破壊の快楽によって己が為にのみ。

だが、あの人といるとそれが崩れる。

何処か、何かが、軋んで。

心地好い。

それは忍としては危険と認識している。

だが、もう無駄だ。

毒を一度含んだら、それに慣れるまで飲み続けるしかないのだから。


「レッド様」

「・・・・・・・・何だ」


唐突に呼ばれて目を向けると、イワンが微笑んでいた。

いつの間に戻ってきたのか。


「お預かりしていた鍵を使わせていただきました。勝手をした罰は後ほどお願いします」


そう言う彼の匂いに混じって杉の匂いがしたから。

レッドは黙って歩きだした。





「大丈夫ですか?」

「煩い。痛いと言っていないだろう」

総杉の、レッド専用の風呂場。

頭を洗ってもらいながら攻撃的に言うが、イワンは何も言わずに優しく髪を洗ってくれた。

脇腹は血止めの防水テープを張っている。

周りの血糊や汚れを落とさねば縫っても化膿してしまう。


「腕を上げていただけますか?」


身体を洗う前に、傷の周りを世話してくれるらしい。

黙って右腕を上げると、濡らした柔らかいタオルでそっと、何度もぬぐってくれた。

強くすれば簡単に取れるのに、傷を引かぬよう、優しく。


「・・・・もういい」

「もう少しお待ちください」

「血がつくぞ」


ボソリと言うと、イワンはええ、と答えた。


「レッド様が血液に忍用の毒を保持していらっしゃるのは存じています」

「・・・・ならば離れろ。死にはせんが神経系が一時的にやられるぞ」

「構いません」

「私が十傑だからか」


お前より役に立つから!

お前を十人集めても私の方がまだ優秀だから!

お前と違って『モノ』だから!

ぎっと睨むレッドに構わず、イワンは傷を拭っていた。


「これは私の我儘です。レッド様」

「・・・・・・・」

「私は失うのが怖い。もう何も失いたくない。でもそれは到底かなわない」


だから、どうか。


「もう同じ場所に傷を受けぬよう、祈らせて下さい」


貴方様が死なぬよう、なんて余りに失礼な話ですし。

柔く微笑まれ、レッドは黙った。


「・・・・背中も洗え」

「はい」





濡れた服を着替えろと自分の普段着を投げ、ソファに座る。

背後の衣擦れを聞きながら、テーブルの上の水を飲んだ。

そして、テープを剥がして傷を縫い始める。

次の任務に響かぬよう、麻酔は使わない。

使ったところで効かないものが多いのも事実だ。

顔を歪めさえせずに縫い付け、滲んできた血を拭う。

イワンが包帯を持ってきて巻き始める。


「苦しくはありませんか」

「・・・・・ああ」


綺麗に巻かれた包帯を見詰めていると、イワンが隣に座った。

礼儀正しい彼が黙って座ったのは、そうしないとレッドが何癖付けると知っているから。

そうすれば、素直に膝に頭を乗せると知っているから。

一瞬迷う色がよぎるきつい瞳。

彼は仮面をテーブルに放って横になった。

ぬくい膝に頭を乗せると、優しく梳いてくれる。

母も姉も知らぬから何かに重ねる事は出来ぬ。

重ねなくとも十分に心地が良い。


「お休みなさい、レッド様」


寝息を立てるレッドに優しく微笑み、イワンは窓の外を見た。

黒髪を梳く指は、そのままに。





「・・・・・・・?」

起きると、珍しく指が止まっていた。

どのくらい寝たのか時計を見ようとして、首を包むものに気づく。

真っ赤な、薄いマフラー。

今迄のどれより暖かく、柔らかく、心地よく。

既製品しては、出来が良すぎる。

だが、期待などもつような自分でもない。


「ふん・・・・・」


頭を動かさずに窓の外に視線を投げる青年の頬が少し赤かったのを見た者はいなかった。





***後書***

たまにはレッドも良い事あるよ!