【 御主人様のお気に召すまま-090 】



こん、と乾いた咳が聞こえた。

目を向けると、心配する幻惑に首を振って笑う姿。

我慢しているのだと直ぐに分かった。

あのひとは隠しごとが下手だ。

だが、人を傷つけぬよう、心配させぬようにとつく嘘は病的に上手い。

優しい嘘だ、だが残酷だ。

私達ではお前の心配すら出来ないのかと切なく思う。

だが、彼がそうするのを誰も咎める事など出来ない。

男は黙ってソファを立ち、サロンを出た。





本部内のモールに行き、生鮮食品を扱う店で金柑を買い求める。

幾ら品質が高いとはいえ、季節が少し遅いからきっと苦い。

砂糖も買って、部屋に戻った。

金柑の小さく硬いヘタを取り除きながら、出会った時の事を思い出す。

とても疵付き疲れた色の瞳が必死だったのを覚えている。

ただただ主に仕えて死にもの狂いで仕事をこなし、何も考えないようにとする痛々しい姿。

攫われるようにして主に仕え始めたのが、それに縋る事で安楽を求めた。

そう、安楽。

安息ではない。

心が痛みを感じる間が無かっただけだ。

事実、半年後に彼は胃に穴があき、不眠症になり、拒食と慢性的な痙攣発作を併発した。

アルベルトが休みを与えると言った瞬間の狂乱は酷かった。

十傑の目の前で泣いて叫んで主に縋りつき仕事を請う姿はワーカホリックなどと言う生易しいものではなかった。

一種異様な姿に笑う者さえいなかった。

アルベルトもセルバンテスもお手上げ状態の恐慌に、自分が仕事を命じたのだ。

病室で適切な治療を受け、その合間に十傑全員分の手袋を編めと。

長いだけで単純なマフラーでは時間が持たないと踏んだのだ。

実際それは正解だった。

十傑の、というのだからいい加減なものは渡せないと、何度も何度も作りなおして。

彼が回復する頃にやっと出来上がった。

復帰する前日に、彼は当時まだリーダーを受け負っていた自分の部屋に手袋を持ってきた。

醜態を晒した事を謝り、これからは大丈夫だと笑った。

優しい笑顔だった。


『編み物をしている間、何も考えずに済みました』


仕事以外でやっと安らぎを感じたのだと。

それから彼は頻繁に編み物をしている。

毎年主に黒のマフラーも渡しているらしい。

とてもいい出来で羨ましかったが、矢張り欲しいと強請るには自分もプライドがあるわけで。


「・・・・男の意地などくだらんがのう」


ヘタを取り除いた金柑を洗って、竹串で孔をあける。

そう大量な訳ではないからものの5分で終わってしまう。

鍋に湯を沸かして金柑を茹でる。

水に晒すと、冷たさが指に染みた。

あの人は冷たく凍っている。

壊れぬようにと硬く凍りつき、それ故衝撃で一気に砕け散る危険を自身で理解していない。

いつだって、壊れそうに危うい。

皆気づいている。

皆己が癒したいと願っている。

皆己が奪う事しか出来ぬと知っている。

それを知りながら帝王に徹し奪うだけ奪う覚悟をした男を誰が責められよう。

愛と言うなら愛だろう。

晒した金柑を一つ口に入れた。

苦味の抜けた金柑は甘い。

それに水と砂糖を加えて煮込む。

甘い甘いあのひとの喉を。

喉だけでも。

癒したいと思いながら。





「あれ?」

ドアを開けると、誰もいなかった。

確かにノックの音がしたし、気配も誰と断定はできないが知っている。

それにかき消えた早さから言って十傑の誰かだろう。

きょろきょろしてドアを閉めようとする。

が、床にジャム瓶が置いてあるのに気付いてしゃがんだ。


「・・・・・金柑?」


開けると、甘く爽やかな香り。

一粒食べると、荒れた喉に染みわたる。

誰か分からない。

誰か分かった様な気がする。

イワンは嬉しそうに頬を染めて微笑み、瓶を持って部屋に入った。


「もう、随分昔になってしまったな・・・・」


もう一度、十傑に手袋を編もう。

今度は、何も考えないのではなく。

皆の無事の祈りを込めて。





***後書***

爺様のカッコよさを誰か分かってください(皆知ってるよ!)