【 パラレル-002 】



「いってらっしゃいませ」

「あぁ」

黒いスーツに身を包んだ旦那様を戸口まで見送る奥様の名前はイワン。

微笑んで鞄を差し出す。

旦那様は少し目を細めてイワンの身体を引き寄せた。

ついばむような口づけ。

深めたいが、時間が迫っている。

傾れ込みたいのを堪え、目元と頬に口づけ、最後にもう一度唇にキス。


「行ってくる」

「お気をつけて」





旦那様が出て十分しない内に呼び鈴が鳴った。

忘れものかと思ったが、ちゃんと昨日自分が揃えた筈。

洗い物を中断して手を拭きつつ出ると、馴染の醤油屋さん。

赤い仮面は制服なのだろうか。

訊いた事は無い。

だが時刻は午前八時前だ。

思わず目を瞬かせて首をかしげる


「何か・・・・?」

「何かとはなんだ」

「え・・・・・あ、お早うございます」

「あぁ。ところで」


醤油はあるのか?

醤油屋さんなのだから当たり前と言えばそうなのだが、朝からやって来て要るか要らないか聞くものだろうか。

その疑問が伝わったのか、眉をひそめて睨まれた。


「醤油が無いと一日は始まるまい。卵焼きに何をかけるのだ」

「・・・・うちはオムレツが多いので・・・・」

「私は卵焼きが好きだ。甘いのがな」

「はあ」


それは作れと言う事なのだろうか。

いつも調味料をまとめ買いしても嫌な顔一つせず配達してくれるし、今日だってわざわざ醤油の有無を聞きに来てくれた。


「今度、お作りしますね」


甘い卵焼き。

微笑まれ、微妙に赤面して目を反らし青年は頷いた。


「う、うむ・・・・まぁなんだ、その・・・・醤油と同じで貴様の顔を見らんと私の一日も始まらんのだ・・・・」

「え・・・・?」

「い、いや。兎角醤油はあるのだな!」


ならいい、と去っていく醤油屋さんを見送るイワン。

あの青年には言えないが、暫く醤油を買う予定はない。

最近、お風呂から出ると、洗濯籠の横に醤油の一升瓶が置いてあるのだ。

入る時に脱いだ下着が無くなっている代わりの様に置かれている。

最初は怖かったのだが、旦那様が抱きしめて大丈夫だと言ってくれたから、気にしない事にした。

因みに洗濯して干すと、下着やワイシャツ、靴下も時折無くなる。

深く考えない、考えない。

イワンはカフェエプロンを外してルームウェアから普段着に着替えた。

薄茶の上に焦げ茶のパーカーを羽織り、細身のジーンズ。

少し薄着だが、買い物は徒歩で動き回るから構わないだろう。

お財布とエコバッグを一つ持って、鍵をかけて。

エコバッグが一つなのは、一つ二つ袋が欲しいから。

色々しっかりした主婦の奥様だ。

玄関に置いていたゴミ袋を片手に持って下に降り、ゴミ捨て場に行くと先客がいた。


「あ、お早うございます」

「あぁ・・・お早うございます」


鴉よけの格子を開いて、ゴミを中に入れてくれる。

お礼を言うと、優しく笑んでくれた。

左隣に住んでいる孔明さん。

システムエンジニアで、凄腕らしい。

性格に難ありと聞くが、隣で暮らしていても全然悪い印象は受けない。

紳士的でそつのないいい人だ。

味噌が切れた時に貸してくれた。


「旦那様はもう?」

「えぇ」


少し世間話をしてから別れる。

後姿を舐めるような視線が張っている事に、イワンは気づかなかった。





ゴミ捨て場からそのまま商店街に直行。

午前中は昼の買い出しの為に賑やかだ。

夕方には負けるが、活気があるのは楽しい。


「こんにちは」

「あぁ・・・・イワンか」


とても不健康そうな青年は幽鬼と言い、八百屋さんの御主人。

若いのに店を持つのは凄い。

確かに彼の仕入れる野菜は信頼も味もしっかりしていて、奥様方に好評だ。

接客に向いていないが、少し特徴ある顎のイケメン目当ての奥様も少なくは無い。


「今日は静かですね」

「ああ・・・正直あれは苦手なんだ。私はそう整った顔でもないし、何と言うか・・・・」


自分の顔の造作をまるで理解していないのに苦笑する。

確かに不健康そうな顔色だし面長なきらいはあるが、十分格好良いのに。

そこが可愛いと言えば可愛いのだが。


「ズッキーニを仕入れたのですか?」


新鮮な緑の濃いズッキーニを手に取る姿に思わず目を反らす。

何と言うか、妄想甚だしいと分かっていながら酷く興奮してしまう。

口元に近付けてぺろっとしてくれないだろうか・・・・。


「二本頂けますか?」

「あ、ああ」


上も下も塞げるな・・・・などと思ったが妄想が明確に形作る前にさっさと袋に詰める。

鼻血が出たら困るし、腰元のズッキーニが元気になっても大変困るからだ。


「茄子もおまけしておく」


入らないと思うが、入れる妄想がしたいから。


「有難うございます」

「いや・・・・また来てくれ」





次は魚屋さんに向かう。

昔からある魚屋さんは今は若主人が店主。

喋った事は無いが、悪い感じは受けた事がない。


「こんにちは」

「・・・・・・・」


捌いていた手を止めて微笑んでくれる彼は怒鬼と言う名だ。

醤油屋さんから聞いた。


「今日は何かおすすめはありますか?」

「・・・・・・・」


差されたのは舌平目。

確かに瑞々しく新鮮そうだ。


「ムニエルも良いな・・・・・」


旦那さまを喜ばせるために色々メニューを考える。

ソテーも良いが、あの方は自分のムニエルを気に入っているらしいから。


「これ、頂けますか?」

「・・・・・・・・」


頷いて袋に詰めてくれる。

不意に顔を上げ、隣の鰻を指差した。


「鰻・・・・ですか?」

「・・・・・・・・・・・」

「え、あ・・・でも、いつもそんな」


視線でおまけだと言われ、戸惑う。

だが押し切られて曖昧に微笑むと、選んで持ってくるように目で言われた。

ちょっと悩み、適度な大きさのものを掴む。

両手で黒くぬめるものを掴んだ人妻。

この寡黙な男が頭の中でヤバい変換をかけているとは露知らず、イワンはそれを差し出した。

怒鬼は一瞬でそれを網膜に焼きつけ、瞬時にそれを捌いて袋に詰めた。

奥様がヌルつくこれを捌く時に手を切ったら大変だ。


「有難うございます」





薬屋さんの前を通り、ちょっと考える。

胃薬を買っておいた方がいいかもしれない。


「こんにちは」

「露特工、如何に」

「胃薬をくださいますか?」


薬屋の主人は頷いて胃薬を出し始めた。

何種類かあるが。


「あ、これを・・・・」

「了」


60包を二箱貰う。

すると、もう一つ箱を差し出された。

いかにも怪しげな、黒い箱。


「夜の夫婦生活を助く薬なり。心配無用、万一の場合は面倒をみる故」

「あ・・・・・・」


最後の方が内包する意味をイマイチ分かっていないイワンは、頬を染めて俯いた。


「そ、その、そういう薬品は・・・・・」

「無くとも絶倫と思わしき」

「・・・・・はい」


元々薬屋の主人は飲ませたかったわけではない。

飲めば飲んだで楽しめそうだが、今回は恥じらう姿が見れればいい。


「無理に勧める事無し」

「あ、す、すみません・・・・」


頬を赤くしてもじもじする姿は何とも奥ゆかしい。

店主は満足げに頷いて、出ていくイワンを戸口まで出て見送った。





さて、次は酒屋さん。

旦那様のお眼鏡にかなう上酒を扱うのはこの辺りでここだけ。

入ると、恰幅の良い好々爺が酒瓶を並べていた。


「こんにちは」

「おお、イワンか」


世間話をしつつ、ワインを選ぶ。

今日はスパークリングワインにしようか。


「スパークリングなら面白いものを仕入れておるが」

「面白い?」

「赤なのだがな・・・・ああ、これじゃ」


差し出されたのは赤ワイン。

だがスパークリングと言っていた。

赤のスパークリングワインは珍しい。

旦那様の口に合うだろうか。


「どうしようかな・・・・」

「旦那は酒の種類で叱りはすまい?」

「ええ、そうですが・・・・」


出来れば、お好みに合うものをお出ししたいですし。

もし、少しでも笑って頂けたら、嬉しいので・・・・

健気で欲の無い望みに口元が笑む。


「ではこの白のスパークリングを買って行かんか?」


差し出された銘柄は、旦那様の好きなワイン。

頷くと、今見ていた赤と一緒に袋に入れてくれた。


「あ、それは・・・・」

「構わんよ。面白かろうと思って仕入れたにすぎん。おまけなら旦那と飲む口実になろう?」


優しい店主に、微笑み返す。


「有難うございます・・・・あの」


今度、おつまみ持ってきますね。

いりこ味噌がお好きだとお聞きしましたから。

料理上手なこのひとに作ってもらえたらさぞ美味かろう。

このひとが作ってくれたことでさらに。

微笑み、少し重たい袋を渡す。


「ああ、楽しみにしておるよ」





帰る途中でお米屋さんと会った。

樊瑞さんと言う人なのだが、今家に向かいながらとくとくと説教を受けている。

荷物はもう奪い取られ・・・・持ってくれている。


「・・・・だからこんな重たいものを一人で抱えてはいかんと何度も・・・・」

「あ、あの、しかし・・・・」

「第一に身重で酒など以ての外だ!」

「みっ・・・・・」


イワンの歩みが止まり、見る見るうちに赤面していく。


「わ、私は孕んでなどおりません!」


泣きそうな顔を真っ赤に染めて言われ、樊瑞も歩みを止める。

余りの剣幕に思わずたじろぐ。


「そ、そうなのか?意外だな・・・・」

「あの方は・・・・・」


私でないどなたかを、腕に抱いておられます。

蚊の鳴くような声での告白に、樊瑞は内心額に手を当てた。

あの過保護な旦那が嫁可愛さに手を出せないでいることは周知の事実だ。

結婚三か月、何をしているのか・・・・まぁいい。

兎角本人に感じ取られているのはマズイ。

絶対にこじれる。


「い、いや・・・・あやつも何か考えが・・・・」

「分かっています・・・・・」


良かった、と思った次の瞬間、樊瑞は強く脱力した。


「私では到底役不足なのです・・・・・」


こんなに出来た妻に役不足があるとすれば、この奥ゆかし過ぎてマイナス方向に傾いた思考くらいだ。

樊瑞はイワンを促して家まで歩きながら必死で慰めた。

泣くな、泣くな。

泣いたら我慢が出来なくなるから。

やっとこさ家に届けて、中に押し込んで溜息をつく。

小さく鼻をすする音がしたが、今開いたら


「奥さん・・・・!」

「あぁっ、いけないわ、お米屋さん!」


になりかねない。

我慢だ樊瑞!頑張れ樊瑞!

自分を応援しつつ立ち去る樊瑞。

イワンは少しの間目を潤ませていたが、きゅっと唇を噛んで立ちあがり、買ってきたものをきちんと始末した。

するとチャイムが鳴ったので、出る。

いつも旦那様に確認してから出ろと言われているのだが、慌ててしまって中々実行できないでいる。


「はい!・・・・あ」

「やぁ、こんにちは」

「こ、こんにちは」


新聞勧誘のヒィッツカラルドさん。

スーツから香水までバッチリ決めている彼にオトされて新聞を何種も取っている奥様も珍しくは無い。

しかしイワンは旦那様ひと筋なので、そういう魅力を余り感じないでいた。

そこがヒィッツを燃えさせる。

初めは新聞を取らせるゲームだったのが、いつの間にかこの可愛い奥さんをオトすゲームに。

そして今は、それをゲームにしたくないと思っている。


「新聞はいかがかな?」

「い、いえ・・・・結構です」

「ふふ、これは一応の謳い文句だよ。これを言わなければ」


お前に会いに来れないのだから・・・・。

ゾクッとする様な色気の声が耳元で放たれ、イワンは身を竦ませた。


「あ、の・・・・・」

「新聞などより私の心を読んで欲しいのだが?」


こんなに狂おしくお前の事を想っているのだからね。

その言葉に、イワンは俯いた。


「私は・・・・・」


読めなければいけないあの方の御心さえも、狭霧の中に見失いかけているのです・・・・。

掠れた小さな呟き。

あの尊大な男はこのひとの想いも知らずに、失いかけている。

このひとが幸せな姿は見ていたいが、一人になった所で攫うのも良い。

ヒィッツはイワンの耳を撫でて、手を取り口づけた。


「また、来る」

「え・・・・?」

「ふふっ、新聞の勧誘だよ」


少し悲しい微笑を交わし合う背後で、夕日が沈んでいった。





寂しさを押し殺すことには慣れている。

とある事情で全てを失った自分には、故郷も家族もなかった。

だから、あの方のお傍に居られるだけでも幸福と思わなければ。

一度目を閉じて寂しさを振り払うと、イワンは目を開けて伸びをした。

夕飯の準備をしよう。

エプロンを付けながら、目に入った姿見に苦笑する。

白のフリルのエプロンはとても可愛いのだが、自分が着るとどうもなんだか・・・・。

このエプロンは運送屋さんにもらったのだ。

旦那様の前では到底恥ずかしくて着れないが、箪笥の肥やしには勿体ないので、こうやってたまに着ている。

舌平目の下ごしらえをして、塩を馴染ませながら付け合わせのポテトサラダを作る。

ムニエルは後は粉をまぶして焼くだけ、熱々の方が美味しい。

ポテトサラダは少し置いた方が馴染んでおいしいから、今のうちに。

ミルクで伸ばし、ぽってりとクリーミーに仕上げる。

が、ちょっと・・・・いや、かなり多い。

勿論失敗でなく、計算済み。

お裾分け用だ。

孔明さんは不規則な生活だから、ドアノブにかけておいた方が良いだろう。

ああいう仕事は集中している時に邪魔をしてはいけない。

そして、右隣の学生さんにも。

残月さんと言うのだが、家のごたごたで双子の弟さんと離れ離れらしい。

いつか紹介できると嬉しいんだがと言ったあの笑顔が少し寂しそうだった。

有名大学で首席を争うどころかぶっちぎりらしいが、換気扇が回るのは週数回。

煙草の換気が主で、食生活が心配だ。

勝手に心配してたまにお裾分けしているのだが、喜んでくれるのに演技は見えなくて、続けている。

冷ましたサラダをタッパーに詰めて、サンダルをはいた。


ぴんぽーん


「あ、残月さんこんにちは」

「あ、ああ・・・・・・」

「?」

「いや・・・・・いつもと雰囲気が」

「・・・・・雰囲気・・・・あっ!」


慌ててエプロンを掻き集めるのが可愛い。

何でもそつない奥様はたまに少し抜けた所があるが、そこがまた。

残月は苦笑した。


「いや、可愛いんじゃないか?」

「あ、有難うございます・・・・・あのこれ、お裾分けです」


渡されたポテトサラダ。

蓋を開け、行儀悪くつまみ食い。


「美味しいな」

「お口に合って良かったです」

「この間の鴉鰈の煮物も・・・・ああ、あの時のタッパーを返さねばな」


ちょっと待っていてくれ、と奥に消え、戻ってきた残月。

イワンが天井を指差した。


「あそこ、切れそうですね、電球」

「ああ、換えようとは思うんだが、まだ付くと思うとついものぐさになってしまってな」

「うちも浴室が切れてしまったのですが、中々・・・・」


マメで働き者の奥様にしては珍しいと思い、気付く。

このマンションの浴室は他の部屋と違い、解放感がうんたらとかで些か高いのだ。

旦那なら楽に届こうが、奥様は背が高めとて微妙に届かないだろう。

旦那に頼めばいいのに、大方頼めないで自分で何とかしようと思っているのだ。


「良かったら私が付けようか?」

「有難いですが、お手を煩わせるのは・・・・」

「いやいや、私もいつも貰ってばかりでは心苦しい」


旅先の土産は私の努力でない、電球程度だがそちらの方がまだ私の納得がいくのだよ。

駄目だろうか、と言われて、イワンはお願いすることにした。

この優しい青年の好意を無下にはしたくないし、実際困っているのだから。


「お願いします」





「有難うございました」

「いや、また何かあったら言ってくれ」

「ええ、その時は」


電球を付け替えて貰い、イワンは家事に戻った。

洗濯物を取り込んでたたみ始める。

途中でチャイムが鳴った。


「はい・・・・・あ、こんば・・・・」

「やぁこんばんは!イワン君!」


ハイテンションなのが気配に嫌という程詰め込まれているこの人はセルバンテスさん。

運送会社の取締役なのだが、うちだけは何故か自ら配送に来る。

クリーム色のスーツと、少しスパイシーな香水で決めて、サングラス。

どう考えても配送に向いた服装ではない。


「あの、アルベルト様はまだお帰りに・・・・」

「ああ、いいんだよ。今日は本当に配送だから」


三回に二回は顔を見たかった、残り一回は配送と言う名の一方的なプレゼントの嵐。

旦那様の古くからの友人で、たまにお酒を飲みに来るこの人はやたら自分に構いたがる。

だが本当に配送?


「・・・・いや、まぁ兎に角」


これ、アルベルトに荷物。ハンコくれる?


「判子・・・・」

「ああ、別に私のほっぺに君の唇でも構わな・・・・・」

「黙れ」


じゅう、と後頭部に押し当てられた葉巻。

セルバンテスは焼けた髪を押さえた。


「ちょ、何するの!」

「煩い。うちのに手を出すな。間男か貴様は」

「間・・・・それも良いかな」

「・・・・・・・・」

「いやいや、無言でアンドリュースとかないから」


ミリタリーナイフを突き付けられて、セルバンテスは後ずさった。

旦那様・・・・アルベルトはミリタリーものの会社を経営している。

発送はセルバンテスの運送会社が全て委託。


「このナイフは中々評判の切れ味でな・・・・」

「怖いよ、目が怖い」


言いながらもセルバンテスの手にはスタンガン。

なんやかんや言って友人二人は似た者同士。

昔から派手な喧嘩をやっている。


「・・・・・・おふた方」

「イワン君ちょっと待って」

「今忙しい」

「ご近所に迷惑です」


天使の笑みの後ろに何か怖いものを見て、盟友二人は黙って武器をおさめた。

取り敢えず家に入る旦那様と、退散するセルバンテス。


「セルバンテス様、お気をつけて・・・・あ、アルベルト様、お荷物を」


可愛い新妻の怖い部分を見ながら、アルベルトは鞄を渡した。

妻は人様の迷惑にならない限りは何をしても基本的に怒ったりしない。

靴を脱ぎ、廊下を進んでいると、愛らしい妻は無邪気に聞いてくれた。


「お食事になさいますか?お風呂になさいますか?」


風呂で貴様を食いたいと言いたいが、言ったらこの奥ゆかしい妻は酷く戸惑い、逃げてしまうだろう。

溜息をついて、風呂と答える。

その溜息を妻がどう取るかなど、考えもしなかった。





風呂も食事も、残った仕事も済んだ。

妻は自分が全て終わらせるまで眠らずに待ち、編み物をしていた。

寝室に入ると手を止め、微笑む。


「お眠りになりますか?」

「・・・・・いや」


今日こそは、と決めたのだ。

泣かれても、拒絶されてもやめないと。

真剣な瞳に何かを感じたのか、妻が居住まいを正す。

両頬を手で包み、口づけた。


「んん・・・・・」


甘く濡れた声。

初めて会った時もこの声にひかれた。

全てを失って立ちつくすこの人が呟いた名前。

思い出したくも無い、他の男の名など。

だが、その万感を込めた声にひかれて瓦礫の中を進み、この人と出会った。


「イワン・・・・」


耳元を擽るように吐息を吹きかけ、少し力が抜けた所で押し倒す。

見上げてくる不安そうな目に、期待が高まる。

もしや、もしや。


「・・・・初めて、か?」

「ぁ・・・・・」


はい、と小さく頷いた妻に、熱が高まる。

ごくりと喉が鳴った。


「辛ければ言え」

「アルベルト様・・・・・」


おずおずと手を伸ばしてしがみつく妻がたとえようなく愛しい。

脇腹を撫で、段々と強くさすっていく。

興奮を煽る、布の擦れる音。


「あ、ぁ・・・・」


身を捩るのは布が擦れ合う痛みより、興奮に揺れる腰を隠すため。

初めてなのに、こんなにもはしたなく求めてしまう。

どうにかして、この心を伝えたい。

必死で求め、身体を擦り合う。

それが、手から身体自体を擦りつけ合う動作に変わるのに時間はかからず。

その内に、興奮あらわな雄同士を擦りつけ合う動作に変わる。


「はぁ、あ、ああ・・・・・」

「まだ序の口だぞ・・・・?」

「は・・・ん・・・・っ」

「夢中、か」


仕草もぎこちなく、求め方は幼く。

本当に初めての様だ。

だが中々のスキモノらしく、快楽を享受している。

うわ言のように呼ぶ名は自分以外でない。

ひたすらに、アルベルト様と。

服を脱がせてやり、ぬめる雄同士を晒す。

大きさに息を飲むのが可愛い。

おっかなびっくりといった様子でそっと手を伸ばすから、その白い手に擦り付けてやった。

熱さと堅さに驚いて引っ込める。

もう一度手を伸ばして、先ににじむ蜜をすくい。

ぺろ・・・・・。


「っ・・・・・」

「ん・・・・苦・・・・」


好奇心旺盛なのは良い事だが、これは余りに度が過ぎる。

堪らなく、劣情を煽ってしまう。

目を閉じて息を整える旦那様に、イワンは首を傾げた。

だが、辛そうと言う事だけは認識できた。


「あの・・・・・」

「っ、黙っていろ」

「・・・・・っ」


目を閉じていたアルベルトが妻の酷く傷ついた瞳に気づく事は無かった。

やはり、自分では到底役不足だったのだ。

イワンは鼻の奥がツンとするのを感じた。

だが、骨が折れそうなほどに抱き締められて。


「黙れ・・・・」


これ以上、煽ってくれるな。

貴様を壊せと言うのか・・・。

イワンの心の不安が霧散していく。

この方は、全て自分の為にと・・・。


「・・・・アルベルト様」

「・・・・・・」


愛らしい妻は、頬を桜色に染めて見上げてきた。

恥ずかしげに、嬉しそうに微笑んで。


「壊してください・・・・」


私は、貴方様のものですから。

それからの記憶はおぼろげだ。

堅い入り口を解すのもお座成りだったし、口づけは労りより貪るようだった。

突き入れて、何度も犯して。

細い悲鳴が掠れいき、擦りたてた孔が腫れてしまい。

内包しきれなくなった精液を零しながらまだ受け入れさせて。

身体を掻き抱き、肌をさすって、立たせて付き合わせた。

とうに日付が変わった寝室で、アルベルトはうつ伏せの妻の背を撫でていた。

この愛らしく、魅力的すぎる妻を。

絶対に放しはしない。

必ず、守る。

そう、誰ともなく誓い。

何度も何度も、背を撫でた。





***後書***

団地妻の妄想について激しい勘違いをしていたうっぷんを晴らす小説。

うっぷんの内容…いけないわ、旦那が・・・・!っていうのは醤油屋さんじゃないらしい(米屋が正解)