【 パラレル-018 】



「これが予告状かね?」

とある船の上、招かれた探偵は船のオーナーから受け取ったカードを見詰めた。


『今夜、宝石を奪いに参上する』


上品なワインレッドのインクで書かれているのはその一言。

名前すらない。

悪戯と言う感じもしない。

絶海の豪華客船。

この逃げ場のない中で宣戦布告とはいい度胸だ。

探偵・・・・残月は唇を笑みに歪めた。


「ふふ・・・・受けて立とうではないか」





乗っているのは残月含め12人。

探偵の残月。

警備担当のレッド。

操舵手の怒鬼。

荷物管理のの幽鬼。

医者のカワラザキ。

酒蔵管理のヒィッツカラルド

厨房担当の十常寺。

船のオーナー樊瑞。

学者の孔明。

骨董商のセルバンテス。

画商のアルベルト。

ピアニストのイワン。

船の船員には既に話を聞いたが、特に不審な点は見られない。

勘で言っていいなら白だ。

となると残りは自分を除外して4人となる。

ピアニストのイワンは今回の渡航のみの一過性の契約と言う事で容疑者だ。

骨董商のセルバンテスは今回の騒ぎの原因とも言える宝石に興味深々だが、隠す様子が微塵もない為疑惑は薄れる。

画商のアルベルトは興味がないらしく、他の絵画を片っ端から検分し、何枚か交渉しているらしい。

其方に熱を入れているため、大半樊瑞と一緒である。

となると、矢張り怪しいのはピアニスト。

残月は夜遅くまでホールで一人ピアノを弾くイワンに近づいた。


「まだ弾くのかね?」


人当たりの良い笑みを浮かべた残月に、ピアニストは愛らしい笑みを浮かべて頷いた。


「お約束した仕事ですし」

「真面目だな」

「それだけが取り柄です」


にこ、と笑う顔は此方に向いていても、指は澱みない。


「鍵盤を見なくても弾けるのだな」

「鍵盤は逃げ出しませんし」


一瞬過った寂しい色に、残月は目を細めた。


「・・・・・何か大事なものに逃げられた事が?」

「・・・・・・」


イワンは寂しげに微笑んだ。


「・・・・・許婚を」

「・・・・・・・・・・」


黙って聞く姿勢を見せる残月に、イワンはぽつぽつと話した。

ひとつ年下の許婚は幼馴染だった。

小さな頃から一緒に歩んできた、大事な友。

親同士が決めたが、双方嫌悪は無かった。

イワンも、恋愛感情を抱きつつ、しかしそれはやや曖昧で、激しさは無かった。

それが気に入らなかったのかもしれない。

式の当日に、彼女は姿を消した。

探しだした時、彼女は他の男の子を孕んでいた。

意固地になって一言も口を利かない彼女に、ただ。


「幸せになって欲しい」


と伝えて。

身を退いた。

周りに嘲笑され嘲られ、親には『情けない』と勘当され。

ひとところに留まらなくて済む、船の上のピアニストになった。

船から船へと渡り歩き、もうまともに陸を歩かなくなって10年以上。

未だあの薄ぼんやりした青年期が振り払えない。

そう言って、また寂しそうに微笑みを浮かべた。


「・・・・・もう一度、恋をする気は?」

「・・・・もう、充分ですから・・・・」


もう沢山と言わない、愚かしい程の優しさ。

残月はイワンの後ろから肩に両手を置いた。


「・・・・・では、忘れる気は?」

「えっ・・・・・」


振り仰いだ目に飛び込んでくる、青年の顔。

大映しのそれ。

あたたかい唇。

体中から音を立てて血の気が引いていく。

男だからとか、知らない人間だからとかではない。

人と係わるのが、例えようなく不快で恐怖だった。


「っ」


噛み付くより前に突き飛ばす。

だが、男はあらかじめイワンの腰に手を掛けていた為、転げなかった。

嫌がるイワンをピアノに押さえつける。


「・・・・・・・・・・!」

「声も出ないか」


笑う顔にぞっとする。

身を捩って抵抗するが、びくともしなかった。

背筋を怖気が駆け上がる。

滅茶苦茶に暴れていると、運良く肘打ちが脇腹に入った。

一瞬緩んだ拘束を振り払って走る。

背後を振り返る事も出来ずに、廊下を駆け抜けた。

誰も来ない所に。

誰にも関わらない所に。

強迫観念じみた思いを抱いて駆けこんだのは、例の宝石が置かれた部屋。

だが、先客がいた。

今まさに宝石を奪わんとする怪盗。

画商アルベルト。

硬直したイワンと、一瞬動きを止めた怪盗。

アルベルトは手にしたそれを仕舞い込むと、イワンに向き直った。

逃げなければいけないと思ったのは、怪盗でなくイワン。

本能的な恐怖。

頭に鳴り響く警鐘。

だが、身体が動かない。

先程までの恐怖感に、身体が竦み上がっていた。


「あ・・・・・あ・・・・」

「・・・・・見たな」


見ていないなどと言える筈もない。

ただ首を横に振って『拒否』を示す。

アルベルトが眉をひそめた。


「・・・・・いい機会だ」


そう言って、アルベルトは部屋を出て行った。

去り際にイワンのポケットにねじ込まれたのは、赤くきらめく宝石だった。





あれから半月。

イワンはポケットの宝石に気づかずに下船しようとした所を取り押さえられ、現在拘置場に入れられている。

その時からイワンは一言も喋らなかった。

否、喋れなかったのだ。

残月に与えられた恐怖。

突然怪盗に陥れられた愕然。

そして何より、大勢の人間に接した事。

取り押さえられた時の恐怖は今も鮮明だ。

自殺すら考えるのを放棄したイワンは、とうとう水さえ飲めぬほどに擦り減っていた。

医者を呼ばれてもぼんやりしたままでいる彼に、今日の午後入院の迎えが来る。


「・・・・・・・・・」


自分の手を見詰めた。

貴方の指が好きと言ってくれた少女は今何をしているのだろう。

ああ、何だかとても疲れてしまった。

今目を閉じたら。

深い深い水に意識が落ちて。

目覚めないでいられないだろうか。

半ば自己催眠の状態で目を閉じようとしていたイワン。

恐らくそれは叶うだろう。

今、目を閉じれば。

だが、閉じられなかった。

驚愕に瞼が震える。

鉄格子の外に居る、警官姿の男。

赤い瞳が、あの夜と同じままに見詰めている。


「ふん、何を弱っておる」


鍵を破壊して扉を開け、入ってくる男。

手を差し出されて、戸惑う。

その手は何を意味するのか。

アルベルトは躊躇うイワンに片眉を上げた。


「手を取らんか。迎えに来た格好がつかんだろう」

「・・・・・・」


迎え。

意味が分からない。

人間が怖い。

人間が恋しい。

最後にしよう。

もしこの手が離れたその時は。

本当に、眠ってしまおう。

白い指が、男の手に重なった。





連れて来られた怪盗のアジトで、イワンは家事に勤しんでいた。

声が出なくなった事を知った男は一瞬しくじったと言う顔をしたが、イワンに紙とペンを持たせた。

筆談だが、時折話をしている。

男は自分の事が気に入ったのだと言っていた。

傍に置きたいと。

唇を貪りたいと。

身体を暴き立てたいと。

言った。

イワンは『御心のままに』と書いたが、男は渋い顔をしただけだった。


『貴様の身体は二の次だ。心が手に入らん限り意味は無い』


一瞬心にピリッとした痛みが走った。

甘い甘い痛みだった。

けれど、それに触れるにはまだ勇気が足りなくて。

黙って家事をこなしてつくしている。

たまにピアノも弾いて。

あの方を少しでも和ませられるように。

でも、矢張り心は『御心のままに』で。

変化の無いまま、3週間。

イワンはやっとこの気持ちの正体に気づいた。

もしかしたら、いやきっと。

これが、恋慕だ。

何をされても良いと思っている。

どんな目に遭うか分かっていながら、その心のままに振る舞って欲しいと。

気付いた瞬間、頬が熱くなってきて。

どうしよう、とおろおろしてしまって。

階段を下りてきた男が首を傾げている姿さえ、ドキドキしてしまって。

おどおどしていると、頬を撫でられた。

瞬間走る、甘い痛み。

どうしたらいい?

どうすればいい?

恋愛に関して余りにも幼いイワンは、思わず男に縋っていた。

行かないで。

離れないで。

一緒に居て。

好き、好き、大好きだから。

どうか・・・・・!


「そば、に・・・・ぉぃ、て・・・・・」


自身の掠れた声を聞いたのは何日振りだろうか。

首を振って全身で取りすがるその必死な愛らしさに、アルベルトは驚いた。

あの柔く人を拒絶する姿に惹かれたが、その何倍も愛らしい。

子供のようであり、匂い立つ色香にくらくらする。

そっと顎を掬い、側にと繰り返す唇を塞ぐ。

柔く吸って舌を絡めると、唇がわなないた。

くちゅくちゅと口内を掻き混ぜてやると、苦しげに鼻が鳴った。

ちゅくりと唇を放してやる。

ぽーっとした目で自身の唇に手をやって恥じらう姿が何ともいえず心地よい。


「あ・・・・・」


ちゅう、気持ちいい・・・・。

呟かれる言葉は幼く、それ故にいやらしい。

頬を柔く擦って顔を覗き込む。


「キスが好きか」


イワンは戸惑う様に頷いた。


「アルベルト様とのキスは、気持ちが良いです・・・・」


濡れた瞳がうるりと見つめてくる。

紅潮した頬は林檎の様だ。


「あ、あの・・・・・」

「?」


恥じらいながら服を脱ぎ始めるのに驚く。

恥ずかしがりだが快楽に溺れたならそれも良いと思ったが、どうやら違う。

どうにか喜ばせたい、置いて行かれたくないと必死なのだ。

可哀想なくらい怯えながら服を裂く様に脱ぎ落す。

何があったかは、調べ上げた。

ここまで追い詰められている状態では後一年持たなかったのでないかと思う。

半泣きで自身の身体を解そうとする手を押し留め、もう一度口づけた。


「そう急くな」


欲望は吐き出す事ではない。


「貴様の身体にワシを覚え込ませていく楽しみを奪うな」

「えっ・・・・・」


目を瞬かせるのにくつりと笑い、ゆったりと押し倒した。

恥じらう身体をさすりあげながら時折吸いつき唇で愛してやると、小さく悲鳴を上げた。

人との関わりが希薄だったからか、随分敏感だ。

淡く小さな尖りに指先で触れると、大仰に身体が跳ね上がる。


「あ、ぁあ!」

「そんなにいいか」


笑ってくりくりと潰すと、反射のように身を捩って激しく身悶えた。

反応の良さに気を良くして唇をつけると、甘ったるい悲鳴が耳を擽る。


「ふぁ、んっ」


ちゅむっと吸うと、腰が跳ね上がった。

もう少し開発すれば胸だけでイケるようになるだろう。

楽しみな予定に頬を緩ませ、脚を開かせる。

淡い色の雄は立ち上がってぴくぴくしていた。

その下の袋をを持ち上げると、可憐な窄まりがもじもじしている。

鮮やかなピンクのそこに、指を近づける。

濡れた指を差し入れる前に、硬い床で背を痛めぬよう軽く支えた。

触れられて窄まる小さな雛菊を割り開いて、ゆっくりと差し入れる。


「ん・・・・っく、ふ・・・・」


初めて味わう痛みに息を詰めるイワンの頬を舐め、肉襞を掻き分けて奥に入れた。

震える腰を宥めるように撫でて探るが、締め付けはうねるようになり、腰の震えは強まるばかり。

辛いのかと指を抜くと、足先が丸まった。


「あ・・・・・」


濡れた目に見つめられて、やっと気づく。

我慢出来ないのは痛みでない。

人とふれあう暖かみに酔った身体は、生理に逆行して管を開かれても、快楽を拾う。

もじつく腰と、蜜でべたべたに濡れそぼった雄。

言えなくて涙ぐむ可憐さ。

苦笑して、脚を折らせた。

押し当て、戸惑う手を引いて首に回させる。


「息を詰めるなよ」

「は、ぁ・・・・・ぁんんんっ!」


押し開かれた激痛と共に襲ってくる精神的な悦楽に、イワンの雄が透明な蜜を噴いた。

それを握って扱きながら、突き上げる。


「あんっ、あ、あんんっ」

「っ・・・・・!」


ドププッ、と中に注がれていく熱い粘りに、イワンは首にまわした腕を強く絡めた。

とてもとても、幸福だった。





それから2年。

未だ二人は一緒に居る。

情愛は深まり恋慕は燃え上がり、全く衰える気配は無い。

器用なイワンは家事に加えてヘリやバイクなどの操縦を受け負うようになり、仕事もプライベートも離れる事は無い。

精神状態も落ち着いてきているが、アルベルトの傍から離れる様子は無い。

アルベルトはアルベルトで最早イワンなしではおられぬほどに執着している。

鬱陶しいくらいべったりな二人は、それが普通で。

とても幸せ。





***後書***

書いた後で『何のための怪盗設定だったのかな』とか『貴方の心を盗みました的な事を言わせた方が良かったかな』と悩みました。