【 もしもシリーズ001 】
「ハンカチは持たれましたか?」
「煩い。子供扱いするな」
ツンとそっぽを向くが、心底嫌なわけではない。
玄関まで毎朝見送ってくれる笑顔はいつだって大好きで、嫌な感じなど微塵も無い。
「7時には帰る」
「はい。お気をつけて」
玄関の戸を閉めて、レッドは赤いマフラーを少し締め直した。
空気は刺す様に冷たく、息は白い。
曖昧な出勤時間の遅刻を控えるのはひとえにあの人の為だ。
あの、年の近すぎる『母』の。
父アルベルトが再婚したのはもう15年ほど前だ。
自分と10も違わぬ、それも男を連れて帰った時には呆れかえったが、自分以外どうでもよかったから放っておいた。
その時、自分は10歳。
男・・・・今の母だが、イワンは18歳だった筈だ。
真正の男色と言うわけでなく、父親に押し切られて、だが愛し合ってはいたようで。
父が突然他界した時は恐ろしいほどに空虚だった。
その、たった1週間がどんなに恐ろしかったか。
どんな問題を起こそうが、騒ぎを起こそうが、自分の為に頑張ってくれた母が。
どんなに突っぱねても、愛して愛して愛し倒してくれている母が。
死んでしまうのでは、ないかと。
本気で恐怖を感じた。
だが、イワンはその一週間後から一切泣かなかった。
今までと全く同じで、笑ってくれた。
亡くしたものに泣き暮れて、今手にあるものまで手を離すなんてできないと。
貴方が、いるのだからと。
血の繋がりすらない『息子』の為に、強く強く在ってくれた。
それから15年。
今、レッドは助教授として毒物の研究をしている。
研究とは名ばかりだが、野草や毒茸を探しに高かろうが険しかろうが山を登り、荒野も密林も駆け抜ける。
レッドはそちらの方が性に合っていたから教授らの言うものを探すのはおもしろかったし、教授方は父の同僚で変わり者ばかり。
新種については発見者としてレッドを立ててくれるため、鼻の利くレッドは『忍犬』なぞと呼ばれて重宝されている。
国外に出かける事もあるが、基本的にレッドは自宅が好きだった。
母が待つあの家が、好きだった。
でも、同時に。
父に嫉妬していた。
もう、母を。
母として見られなくなっていた。
「次の採集は1週間後になった」
ウルルの壁を登るのだというレッドに、イワンは優しく微笑んだ。
「レッド様は、身軽でいらっしゃいますからね」
「まぁな。落ちるようなへまはせん」
そう言ってたまごやきを口に運ぶ手が、止まる。
聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。
「・・・・・・何と言った」
「え・・・・?」
確かに聞こえた。
折角女性に好まれるのですから、もう少しやわくないませと。
今、笑った。
「・・・・・女より毒草が良い」
「レッド様が楽しくされていれば、私はそれが一番魅力的な姿だと思います」
そう言うからには、先の言葉は本当に何の気なしだったのだろう。
恐らく、無意識に旦那の息子を誇っているのだろう。
だが、思い知る。
お前の目に映る私は、男でなく息子でしかないのだと。
「・・・・・卵焼きが塩辛い」
「えっ、す、すみません」
甘い卵焼きが苦く辛く、感じた。
久し振りに日本酒でも飲むか、と戸を開けようとして、手を止めた。
隣の部屋から、母の声が聞こえる。
アルベルト様・・・・私と貴方様の息子は、健やかにあられます。
聞いたことのない、甘く柔らかい声。
甘えるような、ふわふわした。
始めて見た、母の『雌』としての部分。
父にそう仕込まれた、雌としての甘さ。
心音が煩い。
体温が上昇する。
一度唾をのみ、襖を開けた。
「・・・・・こんな時間まで起きていたのか?」
「あ・・・・レッド様」
微笑むその隅で、手を後ろに。
箪笥と仏壇の隙間に滑らせた写真などに興味はないから何も言う気はないが。
「飲むか?」
一升瓶を振ってみせると、イワンは苦笑して頷いた。
「御相伴に与ります」
「ああ。なかなかいい酒だぞ」
ぽこん、と栓を抜くと、豊潤な清酒の香り。
燗を付ける気も無く、隣の部屋の暖房でややぬるい仏間で冷酒をあおる。
「・・・・・再婚する気はないのか」
「・・・・・私は、結婚の経験はありませんよ」
苦笑する母の指には銀の指輪。
同性の法的な結婚が認められないこの国で、父と母は指輪と己が心にのみ誓っていた。
当時18歳だったイワンは結婚の経験はなく、恋人もいなかった。
一から十まで、父に仕込まれた母。
未亡人になってますます匂いたつ色気は子供心にもドキドキしたものだった。
33になった今は益々色香に磨きがかかり、レッドが目を光らせていないと色んなものが寄ってくる。
冷酒をグラスから少しづつ飲んでいる母。
「御父上に、似てこられましたね」
ふざけて言うのに眉をひそめる。
「あんな男に似てたまるか」
「御父上を、あんななどと言うものではありませんよ」
「・・・・・・・」
きつめの眼付きの、整った顔がイワンを真正面から見据える。
それに思わず手が止まって、グラスの中で酒が揺れた。
「・・・・・レッド様?」
「そんなにあいつが良いか」
伸びる手が、イワンの手を取る。
指輪をするりと奪われ、イワンが手を伸ばす。
かつん・・・・・
投げ捨てられた指輪。
ざまあみろと笑ったレッドの頬が、熱く痺れた。
鼓膜をふるわせる、破裂音。
「・・・・・・・・」
レッドが僅かに横向きになった顔を、イワンに戻した。
「・・・・・母親面するな」
私は今まで一度だって、お前を母親と思ったことはない。
イワンに初めて殴られたあの日から一週間大学に泊まり込み、そのままオーストラリアに向かったレッド。
帰って来たのは、あの日から1カ月と3日が経過した日だった。
家に踏み込んで、生活感のなさに驚く。
どこか出かけたのかと自室に戻ったが、夜になっても顔を出さない。
家の中を歩き回って、愕然とした。
生活感がないのではない、生活していないのだ。
奇麗に片づけられ、生活するには問題ない。
だが、居なくなって少なくとも1月は経過している様子。
若くして父に攫われたあの人が、通帳も現金も手を着けずに出ていって生活できるはずがない。
取れる道はその身を切り売りすることだ。
ぞっとして、手にしていた書類を取り落とす。
だが、我儘だろうが子供だろうが、能力は飛びぬけたレッド。
すぐさま残ったものやイワンの知り合いから情報を集め、タクシーを拾う。
頭に血が上った状態での運転より、人にまかせてその間に頭を働かせた方が良い。
着いた時には夜が明けていたので宿をとり、逸る気持ちを抑えて夜を待つ。
歓楽街が光に満ちたのを見計らい、外に出た。
男であるあの人は表だって袖引きができない。
気性もおとなしい恥ずかしがりだ。
裏路地を注意深く確かめながら歩き。
見つけた。
はしたなくワイシャツを開けて、でもあわせを指でつかんだまま。
泣きそうな顔で、寒い中に震えていた。
スラックスにワイシャツ、恐らくこれ以上淫らな恰好が出来なかったのだ。
近づくと、怯えたように顔をあげ、それが息子であると認識した瞬間真っ青になって後ずさった。
その腕を掴んで、引き摺って行く。
「れ、レッド様」
「帰るぞ」
「お放しください」
嫌がって暴れるのは力無い。
お印の抵抗なんて言う情けないものではない。
満足な食事も無い寒空の下、すっかり身体は弱っていたのだ。
「・・・・・ちっ」
抱き上げて、歓楽街を出る。
イワンは急激な安堵で意識が霞んでいた。
震える吐息で大人しく抱かれた身体は、冷え切って震えていた。
軽くなってしまった身体に唇を噛み、レッドはそのままタクシーを拾って自宅まで帰った。
十万単位になった料金をカードで払い、家に入る。
冷たい身体を温かいタオルで拭って確かめた。
怪我はないようだ。
痕も、ない。
酷く扱われなかったのだと安堵し、そっと抱き締めた。
「・・・・・私は、お前を母と思わない」
「・・・・・・」
「お前は一人の男でしかない」
一度身を離して真っすぐ見つめる。
「私は一人の男として、一人の男であるお前を愛している」
「れっ、ど・・・・さ、ま・・・・・」
わななく唇、伏せられる瞳。
答えは分かっている。
はいともいいえとも言えないのだ。
この人自身、分からないのだ。
私を愛しているのか、愛した男の息子を愛しているのか。
・・・・いいと思う。
私を愛しているのなら幸福だ。
父の息子を愛しているのなら付け入って騙して、ものにしてやろう。
どちらだって構わない。
愛しているから、傍にいて欲しい。
「愛されるしか貴様に道はないのだ」
「あ・・・・・・」
息子の気質を知っているイワンは黙って切なげに頷いた。
きっと彼自身が優柔不断だと責めるのだろうが、レッドはそれは違うと思う。
いつまでたっても、大人なのに純粋なこの人を。
いつまでたっても、子供でずるくなった自分が。
騙しているのだ。
でも、それがいつか。
本当の愛に、本当の笑顔に。
変わってくれると、信じている。
「・・・・・イワン」
「ぁ・・・・っ」
ちゅぅ、と鎖骨を吸うと、イワンの身体がぴくんと跳ねた。
敏感な身体だというのは、父の部屋から漏れ聞こえる甘い啜り泣きで知っていた。
10年もの禁欲に徹した身体が、一気に花開いていく。
「ぁ、ん!」
胸の尖りに触れると、伸びやかな脚が引き攣った。
擦ると痛がるので柔らかく摘まんでやる。
「んく、ふ・・・・・」
じわっと潤んだ目が見上げてくる。
情欲と言うより愛に満ちた目。
だが、燻る欲望はやはり無きにしも非ずで。
「ひぃ、う・・・・・!」
くいくいっと摘まんで引っ張ると、悶え苦しむようにして感じ入る。
畳を擦りつけるように這っていく腰を押さえて、この一カ月で少し浮いた腰骨に歯を立てた。
「ひっ」
ぴくんっと腰が跳ね、短いまつげのちらちらする眼から涙が散った。
今度は舌を這わせてつぅっと舐め上げる。
「ふぁぁ・・・・・」
みるみる立ち上がってくる雄は、色も薄い。
自慰もそうしなかったのだろう。
挿入の経験だってそうないだろう。
父に弄られてばかりだったものを握って、軽く扱く。
「ひんっ、ひぃんっ・・・・!」
「感じやすい事だ・・・・・」
ごくりと唾を呑んで、シュッシュッと扱き立てる。
垂れ落ちる蜜でぬめり始めるのを一層強く攻めると、イワンは腰を捩って喘いだ。
さすがに息子の手の中で果てるのは抵抗があるらしい。
だが、顔はよくても意地の悪い青年は、手にしたそれを咥えこんでしまった。
「あっ、あぁぁっ!」
ぢゅるぢゅると舌で擽られ、イワンは身を捩った。
我慢したいのに、我慢が出来ない。
腰が重くて、溶けたようで。
温かい口内で、先が焼けるように熱い。
「ふ、ぁ・・・・」
息を吐いて耐え続けるイワンに焦れて、レッドは口全体で力強く雄を吸い上げた。
腰をがっちり抱え込んで吸い込むと、イワンがとうとう泣いてしまう。
「あぁ、ぁ、だめ、だ、め、ぇ・・・・・!」
びくっびくっと跳ねあがる身体。
強張る足をさすって全て絞り取り、レッドは口内を満たす母の蜜を飲み下した。
甘ったるいそれに舌なめずりし、もっと奥を探る。
「そ、そこ、は・・・・」
「構うまい。別に私を産んだ訳でも無かろう」
それでも一向に構わんがな。
言いながら、レッドは力を失って垂れ落ちている幹と袋を持ち上げ、奥の窄まりの眺めた。
あれだけ苛められていた癖に、型崩れは無い。
触っても硬く、首を傾げる。
「・・・・・男に抱かれなかったのか」
イワンはうつむいて頷いた。
「・・・・・私は『御掃除』を」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
黙って、抱きしめる。
一か月前の浅はかな自分を殴りつけてやりたかった。
男に抱かれていなかったのに安堵した。
だが、男で、しかも誘う手管も持たぬ人がまともな男娼など出来る筈も無い
綺麗好きなこの人が、垢を溜めた醜悪な男根を舌で弄るのにどれだけ辛い思いをしたのだろう。
仕事を終えて吐き戻したのだって日常茶飯事だった筈だ。
金があっても食欲がなかったのだろう。
可哀想な事をした、馬鹿な事をしてしまった。
レッドはイワンを抱きしめて、小さな声で謝った。
この我の強い子から初めて聞いた謝罪に、イワンは弾かれたように顔を上げた。
むすっとした顔がとても寂しそうで、唇が僅かに震えているのが見えて。
抱きしめて、おでこにキスをした。
「レッド様・・・・・・」
「・・・・・資格がない事は、知っている」
だが、それでもお前を抱きたい。
真摯な目に、イワンは唾を呑んで、俯いた。
「嫌と言わんなら、続ける」
はいとは、言うな。
それはお前を追い詰める。
やさしい言葉に甘えて、イワンは目を閉じた。
舐め濡らされた指が中に入り込んでくるのに眉が寄る。
少し苦しく、痛みもある。
忘れかけていた種の快楽に、身体が火照ってくる。
「あぁ・・・・・」
中の柔らかい壁をつっつかれて、起ちかけている雄が反応した。
もっと激しく突いて欲しいと腰が揺れてしまう。
引き抜かれて脚を押し開かれ、顔が熱くなった。
当てられているものは熱く、硬い。
力を抜くと、先がめり込んでくる。
そこで少し力を入れると、管が僅かに開いて挿入をスムーズにした。
「あぁぁんん・・・・・・」
「っ・・・・・・」
潤んだ目で、甘そうな唇からぴんくの舌先を見せびらかし、感じ入る厭らしい顔。
ぴくぴくと震える腰を支え、ずずずっと差し込んだ。
「ふひぃっ・・・・!」
奥に填め込まれて、もう弄られていない胸の尖りまで硬く立つ。
あまりに激しい悦楽。
激しい悦楽にのまれる厭らしい姿。
双方興奮の中、片や無意識に、片や本能のままに腰を使う。
「あぁっあぁっ、あんんっ」
「っイワン・・・・・!」
どろっと中に出される熱い液体に身を震わせ、イワンは目の前の青年に手を伸ばした。
絡む指先に思いを込めて、与えられる口づけを受け入れた。
「ネクタイ、曲がっておられます」
笑ってネクタイを締め直してくれる母。
あの日から関係は母と息子であり、そしてそうでない。
だが、温め合うように求めあう事は珍しくない。
関係が変わってくるのかは、はやりまだ分からない。
だが、今この笑顔がそばにあれば。
やはり、自分は幸せなのだ。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
見送る母に口づけて、レッドはいつもの通勤路を歩き始めた。
桜もそろそろ、終わりだ。
***後書***
母息子ものが書きたかったのですが、流石に38歳の髭や19歳の洗濯物泥棒な息子は嫌でした(チキン)