【 もしもシリーズ003 】



「うわぁ、独特」

思わずうぇ、と舌を出す。

が、底抜けに明るいのと顔がそこそこ良いために嫌な感じは受けない。

野性味あふれる顔と刺青を柔和にする優しい笑顔。

独特と言う彼自身が独特な雰囲気だった。


「君、よくここに来るの?」


盟友に目をやれば、いやと首を振る。


「付属の娼館にいいのがいる」

「あ、そうなんだ・・・・・」


返事が間延びしたのは呆れたからでない。

目の端に映った、一人の人間。

人間と認識した数俊後に男と認識した。

容姿が中性なのでなく、性別がどうでもいいと本能が感じていたからだ。

盟友の眼の先を見つめ、アルベルトは首を傾げた。


「・・・・到底貴様の好みとは思えんが」

「うん・・・・でも、あれがいい」


その目がその男から動かぬのに呆れた視線を投げ、アルベルトはさっさと店を出た。

男娼など興味は無い。

セルバンテスも勿論そうだが、今は女がどうでもよかった。

近づき、声をかける。


「君、幾ら?」


優しく繕わないのは彼なりの優しさだった。

身を切り売りして生きる彼らの誇りを汚さぬように。

見上げてくる優しい瞳は、疲れの翳りを見せていた。


「私は、借財がないのです」


廓に借財がない、つまり妓ではない。

買えぬのかと思っていると、傍にいた男が耳打ちする。


「にぃさん、遊び慣れてないねぇ。借財がないのにここにいる奴はねぇ」


飯を食わせりゃ、抱けるのさ。

部屋を取って、食事を摂って、食べ残しをやれば、好きに扱っていい。

妓達にさえ嘲笑を受けるひとは、確かに美しくは無い。

禿頭で、顔に傷もある。

だが、堪らぬ魅力を感じた。

セルバンテスは、財布の中身を場にぶちまけた。

舞い散る大量の紙幣。


「これで、一番いい部屋に通してよ」

「あ、あの・・・・・」

「あんた正気かい?」


何か言おうとするひとを遮り、廓の主人が呆れたように頷いた。


「粗相するなよ。お前、3回殺されたって釣りがくる金額もらったんだからな」

「は、い・・・・・・」


俯く人を抱き上げ、部屋に向かう。

赤や金で装飾されたきらびやかな部屋はどこか下品だ。


「ねぇ、名前は?」

「イワンです・・・・・」


顔を背けるイワンを見つめる。

とても綺麗だと思った。

薄明かりに照らされている姿が愛らしい。

何故ここに居るのか聞きたいという衝動。

だが、聞くのは余りに酷だ。

この世の苦界に身を落とす彼を、これ以上傷つけたくない。


「・・・・・長いの?」

「・・・・・・長いです」


嘘・・・・かは分からぬ。

この暮らしに慣れているならそんなに怯えない。

だが、その怯え方は男を知っている。

いや、それも違うか、だが何がおかしいのか分からない。


「まぁ、いいや」


運ばれる食事を一瞥し、イワンに首を傾げた。


「食べないの?」

「私は、貴方様の残されたものでいいのです・・・・・」

「ふーん・・・・・」


そういう遊び方のルールを作って、男の欺瞞を満足させるのか。

廓と言うものはつくづく男の為の場所だなぁと思いながら、セルバンテスは刺身を食べていた。

元々乾燥地帯の出で、生魚を初めて食べたのは記憶に新しい。

だが、そう神経質な性質でないし、おなか痛くなったらなった時だよね、というスタンスなためすぐに慣れた。

2切れ摘まんで皿を押しやると、イワンは顔色を悪くして受け取った。

緊張しているのかと見ていると、咀嚼の仕方がおかしい。

飲みづらそうなのに首を傾げた。

生魚が駄目なら、もっと違ったえづき方の筈だ。


「口、怪我してるの?」

「いえ・・・・・」


その時にやっと気付いた。

呂律はうまく隠しているようだが、喋っても歯が見えない。


「・・・・・ねぇ、口開けて見てくれるかな」

「は、い・・・・・・・」


戦慄く唇から覗き込めば、矢張り。


「・・・・・抜歯されたんだ」

「・・・・・・・・」


黙って目を背ける人の顎を掬って、目を合わせる。


「知っているから理由は聞かないけれどね、でも、これじゃ残り物でもご飯食べにくくない?」

「・・・・・知っていらっしゃっても、其処はご存じないのですね・・・・・」


やんわりと笑うのを初めて見た。

諦めたのか、もう恥も外聞も関係ないようだった。


「こういう身体にするのは、人形を作るためです」

「人形?」

「お人形さん遊び、されたことは?」


目を閉じて疲れた息を吐くのは、腹が立つより色っぽかった。


「着せかえたり、ご飯食べさせたりって言うあれ?」

「ええ・・・・人形の手足はぶらぶら」


やけにだぶだぶした着物から、手首と足首を晒す。

腱が断ち切られているのは明白だ。


「腱を切って、あそこに座らせておきます。私がお気に召した方に、抱いて部屋に上げていただきます」


そして。


「その方が、口に入れて、御口に合わなかったものを、ちり紙でなく、私の口に」


ぞっとするような食事の内容に、セルバンテスは指先が冷たくなるのを感じた。

噛み砕かれ唾液と混ざったものを飲み込まされるなんて正気の沙汰でない。

イワンは疲れて荒んだ目で今日の『客』を見つめた。


「今日は久しぶりに、苦しい食事でした」

「君・・・・・・・」


緊張に唾を飲み、手を伸ばす。

イワンは振り払いさえしなかった。


「どうされますか、人形遊び」


お風呂でも、食事のし直しでも、着せ替えでも、どうぞ。


「なんでしたら、落書きしたり、殴りつけてくださっても」


それとも、手足をもがれますか?

よくやる斬髪はご期待に添えませんが・・・・・。

自棄なのでない、完全に精神が擦り切れている無邪気な笑み。

余りに悲しいその姿に、思わず抱きしめた。


「分かった、人形遊びがしたい。でも、でもね」


私は、これと決めた人形を、ゆっくりゆっくり、愛でたいんだ。

持って帰って、朝から晩まで持って歩いて、全部面倒を見て。

そんな『遊び』がしたい。


「買い取って、持って帰ってもいい?」

「はい・・・・・」


虚ろで空虚な瞳で笑う姿が悲しくて、ただただ優しく、口づけた。





「お早う、今日は寒いね」

「お早うございます・・・・・・」

早起きなひとは、尋ねるといつもベッドに座っている。

この人の起床に合わせ、早起きする癖がついた。

そうでないと、このひとに我慢を強いる。

這って動けても、扉さえ開けられぬ人。

はじめの日は、小水を漏らしてしまった。

それでも床を這って、隅の隅に蹲って、小水だけしか。

栄養失調寸前で常に脱水気味の身体は、まともに面倒も見てもらえぬから排泄の回数を減らすためだったのだ。

余りに可哀想な努力に、泣きそうになってしまった。

小水でもやはり相当な羞恥らしいのに、排泄の面倒をすべて他人にかけるしかない。

茫然としたまま拭われ始末されるのを眺める『人形』。

風呂に入れても顔を歪めているのに気づく。

元々の性格がかなり恥ずかしがりで遠慮する性質の様で、この生活がどんなにか苦痛だろうとは想像を絶する。

食事の嫌悪感を減らそうと、毎回乳鉢かミキサーで撹拌した。

ぼんやりと口に流動食を流し込まれているイワンは、全く生きる気力がない。

聞けば、自殺を企てようにも常に人がいる場所に『置かれて』いるか『遊ばれて』いるかで。

前にとうとう我慢出来ずに舌を噛んだ時は、廓全員の小水を飲まされたのだという。

吐き戻しては飲まされ、挙句の果てに店の前に括られて。

道往く男に『御味見』と称してまるで処理の器の様に扱われ。

もう、諦めたのだと。

我慢している感覚も無いと。

何でも受け入れていれば、ただ柔く笑って『はい』と言えば。

酷い事は、されないのだと。

そうしてそのうち。

薄気味悪い人形に飽きて、放り出してくれるのだと。

悟りと言うには余りに惨い。

優しい笑みは、それ以外が壊れていたからだ。

喜も怒も哀も、砕けて散乱し。

ただただ、楽のみが顔に張り付いている。


「ねぇ、イワン君」

「はい・・・・・?」

「本当に、人形にしてあげようか・・・・・・」


見上げてくる瞳に、器を置いて見つめ返した。


「私がそう望めば、君は直ぐにでも幸福の中で生きられるんだ・・・・・」

「こう、ふく・・・・・・?」

「何も分からない動物の様になって、世話をされても構われても嬉しいだけで、ね」


私の事が大好きになって、他はどうでも良くなって。

何にも分らないまま、幸せに。


「ねぇ、そうしようよ・・・・・・」


そうすれば、君も私も幸せだと思わないかい?

言い聞かせるように問うと、イワンは頷きかけ、動きを止めた。


「・・・・・・やめておきます」

「どうして?何か、不満が・・・・・」

「動物は、主人に捨てられた時が一番こたえるのです」


もう一度、捨てられる勇気はありません。

もう一度という言葉に、思わず見返す。


「君・・・・・・まさ、か・・・・・」


10年前に一度だけ見た後姿。

盟友の為にピアノを弾いていた、朗らかな笑みの青年。

一気に血の気が引き、次いで頭に血が昇る。

その耳に届く、自覚さえない追いうち。


「あそこに居るよう命じられた以上、私はそうあります。そしてあそこの掟に従って、貴方様の『人形』に」

「君、何言ってるか分かってるの?!」


正気じゃない。

血も涙も無い主人の10年前の命令の為に、精神に異常をきたしてまで耐えるなんて・・・・!


「冷静になっておくれよ、君の人生はアルベルトのものじゃない、君のだ」

「私のすべてはアルベルト様の為に・・・・・・」

「イワン君!!」

「あるべるとさま・・・・・・・」


ぼんやりとした顔は恋慕ではない。

それ以外に知らないのだ。


「・・・・・わかった。もういい」


イワンを突き飛ばして床に転がし、部屋を出る。

あの男を殺そう。

その首をイワンの前に突き出して。

そうすればきっと、きっと正気に・・・・・・。


「・・・・・・正気?」


半笑いで殺人計画を立てている途中で、気付く。

正気とはそもそも何だ。

殺してあの人が俗界で暮らせるわけでない。

あの人は浮世でしか生きられぬ幻なのだ。

浮世に戻す気が無いのなら、浮世を作り上げるしかない。

あのひとが、人形として、生きられる、砦を。

引き返し、床に転がったイワンを抱き上げる。


「・・・・ねぇ、おうちを作ろうか」

「おうち・・・・・・」

「そう、お人形さん遊びには、おうちがないと」


直ぐに電話をかけ、所有の屋敷で一番気に入りの所に居住を移した。

今の場所は日当たりや気温だけを考えていたのだ。

砂漠に面した、屋敷と言うには広すぎる建物。

それで飲み水から食糧まで賄える施設を完備した、場所。

全て機械化してあるから、ずっとずっと、人形で遊んでいられる。

仕事もすべて清算し、すべて売り払った代わりに一生どころか来世まで豪遊しても尽きない現金。

それとイワンしかなくなっても、構わなかった。

時折電話が来る盟友は、こうなってもまだ自分を友として扱ってくれて。

でも、理由は告げずに。

朝から晩まで、人形で遊び続ける。

でも、ある日。

人形は、呪われてしまった。

伸びる髪も無いが、走り回れるわけでないが。

涙を、流した。

私はアルベルト様を裏切ってしまったと泣きながら、セルバンテスの口づけに応えた。

泣きながら、好きだと縋った。

人形遊びが終わりでも、構わなかった。

人形は人間に、そして恋人になったのだから。

全て失って、生きるに不自由しない環境と尽きない金に埋もれて。

もう、触れ合える生き物は互いしかいない。

でも、酷く幸せで。

どちらが先に逝っても同じだ。

世話がなければイワンは4日も持たない。

イワンがいないとセルバンテスが壊れてしまう。

互いの身体だけをかき抱き、砂の零れる音しかしない砂漠で。

甘い最後の恋に溺れていく。

耳の痛くなる静寂の中、互いの鼓動だけを聞きながら・・・・・・。





***後書***

ハイ終了っ!どう足掻いても始まりがあれだとハピエン厳しい!

文才が無いのはご愛敬、第一やっつけ仕事だから、妄想を書いたら長くなってこっちに移しただけだから!

だからそんな目で見ないで・・・・(涙声)